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マルコで祈る

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 カテドラルの夕日



汚れた手で食事をする

マルコ7.2


原典のギリシア語で「食事をする」は、
「パンを食べる」である。
この章句の議論はみな、
食べ物についてである。

食べ物は生命であり、
神から来る。
物質的な食べ物は腐るが、
イエスのパンは、
腐らない食べ物のイメージである。
つまりパンは、
自分自身を与える神そのものを指し示すしるしなのである。
だから、神を汚れた手で受け取ることはしない。

食事のまえに手を洗うというのは、
衛生上の理由だけではなく、
清めの儀式でもある。
生命の清い源に近づくのだから敬意を払わなければならない。

弟子たちは、手が汚れているのに食べる。
弟子たちと違って他の人々は、
手を洗ったから清いと思っているが、
食べない。

そしてイエスは、
彼らの仮面をはがして、
ほんとうの姿を暴露する。
清いと思っているが、
実は汚れている。


『思い起こし、物語れ』上 より


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