マルコで祈る
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何をしてほしいのか
マルコ10.36
やがてイエスは同じ質問を目が見えない人にすることになる。
だがこの人は願うべきことを知っている(51節)
重い皮膚病に苦しむ人が「み心ならば、
わたしを清くすることがおできになります」と願ったとき、
イエスはこう答えたのだった。
「わたしは望む」(「よろしい。清くなれ」)(1・41)。
つまり、
イエスが望むことと望まないことがあるのだ。
そしてわたしたちがそれをちゃんと区別するようにと、
イエスは期待している。
イエスの心にかなったものをわたしたちは願うべきなのだ。
(9・34)
わたしたちの心にかなったものではないのだ。
マルコ福音書は全体として、
わたしたちの願望を教育しようとしている。
わたしたちがイエスの望みに直面し、
イエスの望みによってわたしたちが形作られ、
こうしてわたしたちは神に従って望み、
願うようになる。
神の約束が実現するのであって、
わたしたちの期待が満たされるのではない。
わたしたちの期待はわたしたちの悪を暴き出すが、
神の約束はわたしたちを自由にする。