マルコで祈る
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盲人
マルコ10.46
目が見えない人にとっては、
あらゆることが夜に等しい。
つまり弟子のイメージである。
理解せず、
信仰がなく、
ものわかりが悪く、
目があっても見えず、
心はかたくなだ。
弟子は特別な意味で目が見えない。
つまり「み言葉」が見えないのだ。
み言葉が聞こえず、
口が利けないので答えることもできない。
だがこれまでに偽りの霊が追い出されたので、
耳と口はいやされている。
残っているのは目が見えないことだけだ。
目にも心にも闇しか見えない。
闇は恐怖の場所だが、
イエスの約束によりあこがれの場所に変わる。
大切なものはみな—生命であれ、
自己と他の人々に注ぐ愛であれ—恵みである。
「神を見たいという自然なあこがれ」こそわたしたちの精神の頂点、
わたしたちの究極の可能性であり、
わたしたちが神を観想し、
神に似たものとなることができるのも、
このあこがれがあればこそなのである。
イエスという光りを見るまでは、
このあこがれは見ることができない目のようである。
エリコの盲人は生まれて一度も光を見たことがなかった。
あたかも、
まだ生まれていないうちから墓の暗闇に葬られているかのようだ。
この人にとって、
どんなこともまだ本来の意味をもちえていない。