56 Laudate | 神との語らい

home>祈り>マルコで祈る

マルコで祈る

→ INDEX-6 (マルコ3.13~ )         → INDEX-5 (マルコ2.20~3.6)

→ INDEX-4 (マルコ1.4~20)         → INDEX-3 (マルコ1.21~38)

→ INDEX-2 (マルコ1.40~2.9)        → INDEX-1 (マルコ2.10~19 )


 胡蝶蘭



盲人

マルコ10.46


目が見えない人にとっては、
あらゆることが夜に等しい。
つまり弟子のイメージである。
理解せず、
信仰がなく、
ものわかりが悪く、
目があっても見えず、
心はかたくなだ。

弟子は特別な意味で目が見えない。
つまり「み言葉」が見えないのだ。
み言葉が聞こえず、
口が利けないので答えることもできない。

だがこれまでに偽りの霊が追い出されたので、
耳と口はいやされている。
残っているのは目が見えないことだけだ。
目にも心にも闇しか見えない。

闇は恐怖の場所だが、
イエスの約束によりあこがれの場所に変わる。
大切なものはみな—生命であれ、
自己と他の人々に注ぐ愛であれ—恵みである。
「神を見たいという自然なあこがれ」こそわたしたちの精神の頂点、
わたしたちの究極の可能性であり、
わたしたちが神を観想し、
神に似たものとなることができるのも、
このあこがれがあればこそなのである。

イエスという光りを見るまでは、
このあこがれは見ることができない目のようである。
エリコの盲人は生まれて一度も光を見たことがなかった。
あたかも、
まだ生まれていないうちから墓の暗闇に葬られているかのようだ。
この人にとって、
どんなこともまだ本来の意味をもちえていない。


▲ページのトップへ

23