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102歳の最長老、シスターエレナ深堀が天国へ

2026.04.11


Sr.エレナ

シスター マリア・エレナ 深堀千代子が、4月2日 午前5時30分、老衰のため特別養護老人で息を引き取り、御父のみもとに召されました。102歳でした。シスターエレナ・深堀は、日本の聖パウロ女子修道会で最初に誓願を立てたグループの一人で、最長老でした。

シスター マリア・エレナ 深堀千代子は、1924年に長崎県で生まれ、浦上教会で幼児洗礼を受けました。21歳のとき、長崎の高校で教えていた最中に原爆が投下されました。大きな金属製の机の下に身を隠すことで、生徒たちとともにいのちを取りとめましたが、住んでいた家は失われました。周りは、ただ破壊と死が広がっているばかりで、涙を流す暇さえなかったと語っています。このとき、母と二人の兄弟を亡くされました。次のように書いています。「原爆ですべてを失ったわたしは、『神なんて信じられない』と長崎を捨て、神から逃れるために上京しました」。

Sr.エレナ深堀
葬儀ミサ / 司式はSr.エレナ深堀の甥にあたる
澤田豊成神父(聖パウロ修道会)

ところが、勤務先で、来日して間もない聖パウロ女子修道会のアメリカ人のシスターヴィンチェンツァと出会い、彼女に誘われて、修道院を訪ねることになりました。シスターエレナは証言しています。「そこで目にしたのは、異文化の中で日本語も定かでない宣教女たちが、小さい修道院全部を子どもや人びとに開放して、熱心に宣教している姿でした。想像していた修道女のイメージと違う明るさ、新しさに驚嘆したわたしは、180度回心し、宣教へと駆り立てられたのです」。

こうして1950年、東京の最初の家、阿佐ヶ谷の修道院に入会しました。このころは、志願者も宣教女と一緒に家庭訪問宣教に出かけました。管区の歴史には、こう記されています。「志願者たちは、キリストの愛に迫られて福音を日本の人びとに宣べ伝えなければという、シスターの燃えるような宣教熱に動かされ、日本人のわたしこそがこの人びとに福音を告げなければ、とけなげな決意をした」と。

Sr.エレナ深堀
1954年初誓願(一番手前がSr.エレナ深堀)

シスターエレナは、1954年に日本で最初に初誓願を宣立したグループの一人です。その後、福岡、名古屋、大阪で家庭訪問宣教に励み、神戸では書院で働きました。その後、ローマに派遣され、特に編集とラジオに関する養成を受けました。1966年~1967年には、パキスタンのカラチで書院の使徒職を果たしています。1967年にはローマに戻り、その後、日本に戻り、東京で洋書係、教師、養成委員、宗教法人事務など、様々な任務に携わりました。

1977年秋、使徒職の中に教理研究部が設置され、子どもと大人のための信仰教育をおこなうほか、教師用指導書、生徒用ワークブック、視聴覚教材の企画を生み出しました。東京教区の要請を受けて、要理指導者のための雑誌「教えの手帖」の出版実務も引き受けています。

また1990年からは、「管区の創立50周年を迎えるために歴史をまとめる」という決定を受け、 「日本管区創立史」の編さんに携わっています。

その後1998年~2001年は広島支部で院長を務め、仙台支部を経て、東京第一修道院に派遣されました。2022年に大腿骨を骨折して車いすの生活になり、介護施設に入所し、穏やかな日々を送ってこられました。

Sr.エレナ深堀
2014年 誓願宣立60周年の祝いで

イタリア滞在中、あるジャーナリストが、シスターエレナに尋ねました。「長崎の恐怖を忘れることができましたか」。彼女はこう答えたそうです。「いいえ。でも、ゆるすことはできました」と。彼女が主からいただいたゆるしの心を、わたしたちと世界のすべての人びとにとりついでくださいますように。

Sr.エレナ深堀
葬儀ミサ



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