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長い間、支部で食を支えてくれたシスター友永が天国へ

2025.12.221


Sr.友永

シスター マリア・アナスタジア友永千世子は、12月19日 午前8時44分、老衰のため神奈川県中井町にある高齢者施設で息を引き取りました。95歳でした。施設では、この一か月ほどだんだん食が細くなり、衰えてきておられました。

シスター友永は1930年に大分県で生まれました。21歳のクリスマスに大分教会で受洗、翌年の12月に福岡支部に入会しましたす。当時は、1948年に宣教女が来日して4年目にあたり、16名もの宣教女が宣教に奔走し、入会者も増えましたが、日本人で誓願を立てた人はまだいませんでした。シスター友永は1954年に東京に移り志願期、修練期を過ごしました。その頃、製本所には断裁、折り機、針金とじ機が入り、志願者、修練女はイタリア人のシスターの指導のもと、本格的に製本に取り組み始めました。

シスター友永は日本で修練をした第三期生にあたり、初期の姉妹の一人です。日本管区の創設期にあたって、志願期から骨身を惜しまずに働き、管区が使徒職の土台を築いて発展していくために支えました。1956年12月8日に初誓願を宣立してからは、中央出版社での勤務を経て、困難の多い高松支部でプロパガンダに励みました。


Sr.柳川
葬儀ミサ


1962年に終生誓願を宣立しました。その1年前の1961年から約10年間は、月刊誌「あけぼの」の広告と運転に携わりました。「あけぼの」は、1955年、マエストラ・テクラの視察の後で創刊されました。宗教的内容を、いかに読みたくなるようにして読ませるかと苦心していた時期で、いっそう普及に力が入れられていました。

シスター友永は、その後、福岡、東京、大阪で、運転と団体宣教などに携わり、1976~1982年には鹿児島支部でプロパガンダに励み、また東京の視聴覚営業部、福岡での訪問宣教に尽力されました。そして、1984年~2020年は、実に36年余りの長きにわたって、大阪支部と広島支部で台所の使徒職を果たされました。


Sr.友永
葬儀ミサ


身体にいろいろと不調が出てきたのは2015年ころです。80代後半になって病院にかかることが増えました。入院を繰り返していたとき、シスター友永はこう言っていました。「『まだまだ働けますよ』との病院側の多くの言葉は、杖のようなものですね」。そして、感謝しながら、働くことに意欲をもっていました。

2016年、誓願宣立60周年には、次のような言葉を残しています。「永遠にまで無限性を広げるパウロ家族の中にこの日をいただいて感謝します。60年、ダイヤモンドの輝きはありませんが、いただく毎日を今からもまた精一杯歩き続けたいと願っています」。こうして、工夫しながら台所の奉仕を果たし、姉妹たちの健康に配慮していました。しかし、2020年には支部の生活にも終止符が打たれ、東京に異動しました。その後、脊椎の骨折がきっかけとなり、高齢者施設に入所しました。

シスター友永が、祈りのカードに残した言葉。
    鹿が水の流れを慕うように、
       神よ、わたしの魂はあなたを慕う。(詩編42・2)



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