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女子パウロ会ニュース
高齢になってもベールを縫い続けたSr.柳澤が天国へ
2026.08.02

シスターアナスタジア栁澤チエが、7月29日 午後7時15分、老衰のため、平塚市内の老人施設で亡くなりました。92歳でした。
シスター栁澤は、1934年に東京で生まれ、21歳のとき、日光教会で洗礼を受けました。その2年後に東京の修道院に入会しています。中学生のとき、「悔いのない人生を行きたい」との思いから、生きがいを探し始めたそうです。シスター栁澤はこう記しています。「趣味で属していた混声合唱団の指揮者がカトリック信者の女性と結婚するということで、聖歌の練習のために教会に行き、主任司祭の指導を受けたことがきっかけで、キリスト教の勉強会に参加し、一年後のクリスマスイブに洗礼を受けました」と。ご両親から洗礼に大反対されたものの、女子修道会を探していたそうです。

葬儀ミサ / 司式は吉田圭介神父(聖パウロ修道会)

1961年に初誓願を宣立し、1966年に終生誓願を宣立しました。その後、デパートの使徒職や志願者の係を務め、1968年には札幌支部の創設に赴きました。その後東京に戻り、1970年~1973年は、オーストラリアのシドニーに派遣されました。帰国後は、長崎のカトリックセンターに勤務し、1976年~1979年は広島支部へ、1980年~1983年は、広報委員会委員長糸永司教の依頼により、フィリピン マニラのラジオ・ヴェリタスに派遣されました。

1982年 ラジオ・ヴェリタスの送迎バスで
帰国後、1983年~1994年までの10年余りは視聴覚制作部で働き、その後は社会的コミュニケーションセンターと普及プロモーション・プロジェクトに携わりました。2002年からは再び視聴覚部に派遣されました。

1983年 視聴覚部でともに働いたシスター白井と
(中央は木下恵介氏 カトリック映画賞授賞式で)
80歳になったころから、「体力・知力の衰えを感じるので、視聴覚制作の事務手続きの交替を考えてほしい」と望み、そのころからベールの縫製に携わるようになりました。もともと器用な人で、次々とベールを仕上げていきました。2022年に癌が見つかり、手術の後に薬物療法を続けられました。シスター栁澤は、「心配も不安もありません。お任せします」と、治療にのぞんでいました。そして、「ベール縫いは長くできると思う」と言っておられたとおり、治療中もベールの縫製を続けておられました。昨年の年末に右大腿骨を骨折し、リハビリを受けた後、平塚市の介護施設に移りました。5月末に肺炎を起こしてからは、徐々に衰えてきておられました。
シスター栁澤は、こまやかな配慮ができ、忠実で几帳面な姉妹でした。事務的な仕事をていねいに行い、陰から支えることに徹することのできる姉妹でした。1981年にはフィリピンで、福音宣教のための視聴覚コースを受け、1986年には東京アナウンスアカデミーの講習を受けるなど、視聴覚分野での養成を受けていました。彼女の朗読は、正確でとても聞きやすいものでした。

出棺を見送るシスターたち
1966年、終生誓願の許可を申請したときに、次のように書いています。「主のお召しにこたえ、修道会のふところにはぐくまれ、この祝された身分に生きておりますことを、日々心から感謝いたしております。主の御もとに行くまで、本会のこの道を歩みたく希望しております」。そのとおり、パウロ的召命をまっとうし、今は、ご家族と修道会の必要のためにとりなしておられることでしょう。
