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全国各地で宣教に励んだSr.平川が天国へ

2026.08.02


Sr.平川

シスター ヴィクトリア 平川 タヱは、8月18日 午前6時57分、横行結腸がんのため、秦野市にある病院で息を引き取り、御父のみもとに召されました。95歳でした。1週間ほど前の8月10日、呼吸困難や痛みのため、入所先の施設から救急搬送され、緩和治療を受けていました。

シスター平川は、1931年に秋田県で生まれ、1952年のクリスマス、21歳のときに、滋賀県の彦根教会で洗礼を受けました。近江絹糸彦根工場で働くかたわら、JOC(働く若者のグループ)で、熱心に活動していました。25歳のとき、大阪支部に入会しました。


Sr.平川


Sr.平川
通夜


1960年に初誓願を宣立すると、すぐに車の運転免許を取得し、団体訪問宣教を始めました。東京、大阪、名古屋、広島で、家庭宣教や訪問宣教に奔走しました。広島で訪問宣教に携わっていたとき、三次(みよし)教会の司祭が、FSPの家庭訪問宣教に感謝をこめて、次のように書いています。「シスターたちはカトリック出版物を紹介しながら一か月間、町をくまなく訪問されました。黒い修道服に重いかばんをこともなげに手にされた、そのなつかしい姿は、町の人びとの目にあざやかに印象づけられました。シスターたちのこの訪問によって、熱心な青年たちが次々と教会の門をたたいたことは、ほんとうに喜ばしいことでした」と。1969年のことです。。


Sr.平川
献花をするシスターたち


1971年~1974年には札幌で、その後、鹿児島、名古屋での訪問宣教、大阪での倉庫の使徒職を経て、1984年~1987年には仙台で院長を務めました。1987年には、平塚修道院設立の一員として派遣されて訪問宣教に携わり、その後、広島では、訪問宣教と書院の使徒職に携わりました。2001年~2004年は、再び仙台で院長を務め、その後は名古屋で訪問宣教・書院での宣教に尽力しました。2007年からは平塚に移り、ベールの縫製や手作りの用品の使徒職をしました。


Sr.平川
2010年6月30日、誓願宣立50周年のお祝いであいさつするSr.平川)


10年以上前から、少しずつ健康に問題が出ていましたが、勉学にも霊的生活においても熱心で、いつも、日々の生活から学ぶことを大切にしておられました。主からいただいた召命を感謝し、朝目覚めて祈れることを最大の恵みと感謝していました。2023年に結腸がんが見つかり手術を受けましたが、手術を待っているときに、このように書いています。「この一週間の待ち時間がいちばん苦しい時かも知れないと思いながら、主のご受難を思いめぐらし、全能の神である主はすべてをご存じだったのでどれほど苦しまれたかと思い、聖体訪問のときに小さいことばかりですが、わたしの苦しみのすべてを、愛をもって祭壇の上にのせています。会員が、そしてまずわたしが聖人になるように、そして召命を全うし、一人でも多くの人にこの恵みが与えられますように。アーメン」。その後、昨年5月に高齢者施設に入所しました。


Sr.平川
出棺を見送るシスターたち


シスター平川は勤勉で、責任感が強く、強い確信に導かれていました。「いただいた恵みは召命のおかげと感謝しています。パウロが原点、パウロが介入してくださったと思っています」と話しておられました。また、「わたしの自然性に真っ向から対立する 柔和、謙そん、愛の奉仕を目指し、日々自分自身と闘っています」と語り、よく生きようと努めて、人生の最後の日まで、戦いを立派に戦い抜かれました。今は天国で、栄冠を受けていることでしょう。


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