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新世紀ルーツへの巡礼

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ティト・アルマーニ神父の証言2

花

ティト・アルマーニ神父は、1932~48年、アルゼンチンに派遣されました。また、1959~61年再渡派遣されています。
 インタビューをしているのは、聖パウロ会会員ロアッタ神父です。

ロアッタ神父[/b]:司祭アルベリオーネについての印象を話してください。

アルマーニ神父[:
 彼は聖人だったといえば、もう周知のことです。
 みなが経験していた印象を 覚えています。初期のころのある日、教区の一司祭が、教区報の印刷のためにやってきました。そして印刷所にはいってきてアルベリオーネ神父を指しながら言いました。「おお、我らの聖人」と。

 何か具体的なことを言うなら、早朝の時間割についてです。ご承知のとおり、冬のアルバは非常に寒い。その冷たい早朝の時間割をどのようにして過ごしておられたか、私にはどうしてもわかりません。未明の3時半には起床、4時ごろにはミサ、聖堂での長い黙想。彼の祈りは、いつも印象的で特別でした。

ロアッタ神父:
今日、黙想についてよく話されています。アルベリオーネ神父も好んで話しておられました。静修や 年の黙想などについてアルベリオーネ神父は?

アルマーニ神父[:
 そうです。ときには、3日も4日も自室から出て来ないことがありました。そのうちに私たちにもわかったのですが、そんな時期には、何か新しいことが彼のうちに熟しつつあったのです。

 私たちはお互いに言い合ったものです。「さて、今から何がとび出すか見ようじゃないか」と。

ロアッタ神父:
長い黙想の時期というものがありましたか?

アルマーニ神父[:
 この点で最も記憶されるべきことは、1931年の1カ月の大黙想です。
 たった一人で、聖パウロの家の5階にたてこもってなさいました。その間、わずかに2度だけ、10日おきに、しかもほんのちょっとの時間下に降りてこられただけでした。
 たぶん、その大黙想を3部に分けてなさっていたしるしだろうと思います。
 最初に降りてこられたときは、むしろ青白い顔をしておられましたが、最後には、非常に白くて印象的でした。
 当然、この、神との長い語らいの後に何が起こるか気がもめました。
 それからごく短期間のうちに、外国に向けて、最初のパオリーニ(聖パウロ会会員)たちが出発したのです。トロット神父、ボアノ神父、ボラーノ神父、その他に数名のフィリエ(聖パウロ女子修道会会員)がブラジル、アルゼンチン、アメリカ合衆国に。
 とにかく、修道会の、イタリア国外への出発という出来事が起きたのでした。
 さらにその数カ月後、同年のクリスマスには雑誌『ファミリア・クリスチアナ(キリスト者の家庭)』が誕生しました。
 このような大決定には、長い間の祈りと観想生活が先行していました。


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