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新世紀ルーツへの巡礼

目次

豊かな恵みの富

ピエトロ・ボッラーノ神父の証言

アルベリオーネ神父

ロアッタ神父:
  神父様は、アルベリオーネ神父様が建設なさった最初の修道院に入会になったのでしょう?

ボッラーノ神父:
  いやいや、まだ。サンジョゼッペ広場の家に行きました。最初の修道院は、目下建築中でした。
  そんな時期に、アルベリオーネ神父様と一緒にそこで一夜を明かしたことを覚えています。
  そのころまだやっと壁ができただけで、はしごをかけて上に登らねばなりませんでした。ですから、私たちは足場の板の上に袋を積み重ねました。窓には、トラックの天がい用天幕をはりました。
  夜になって、アルベリオーネ神父様は感慨深げにおっしゃいました。「聖パウロ修道院でやすむ第一夜だ。」こうして私たちは、母院を開設したわけです。

ロアッタ神父:
  ところで神父様、入会後まもなく、養成の任務を負われたのですか?

ボッラーノ神父:
  はい、すぐでした。
  はじめは、古い借家で小さなグループでした。15人から20人くらいだったと思います。
  「宣教師」と呼ばれるグループでした。人は、アルベリオーネ神父様が世界の宣教に派遣すべき一団を準備したいと望んでおられるのだと考えていました。
  実際に外国宣教が決断されたのは、それから数年を経た1931年でした。
  外国への宣教は、決して急に行なわれたものでなく、はじめから考えられていたもので、次第に熟していったものです。アルバからはじまって、イタリー全土に及び、そして全世界に広がる、という理想でした。

ロアッタ神父:
  では、修道会は普遍的な意図をもって生まれたのですね。で、神父様のグループはどうなりましたか?

ボッラーノ神父:
  「若い使徒」と呼ばれるようになり、120から130人の少年たちのグループとなりました。

ロアッタ神父:
  神父様はこのグループの指導者として長くそこにおいでになりましたか?

ボッラーノ神父:
  1930年までいました。

ロアッタ神父:
  アルバ時代には、私たちの学生にだけでなく、神学校でも哲学の講義をなさっておられましたね。1920年に神学校から転出なさった後、再び講師としてそこへ戻られるときのお気持ちはいかがでしたか?

ボッラーノ神父:
  いとも単純でしたよ。私の父に心境の変化があり、また、フランシスコ・レ司教様のうちにもある心境の変化がありましたね。神学校の方で哲学教授が必要になったとき、レ司教はアルベリオーネ神父様にお願いなさったのです。それから数年間、私が定期的に神学校に行くようになりました。


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