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新世紀ルーツへの巡礼

目次

3-聖パウロ女子修道会

レ・フィーエ・ド・サンパーロ(聖パウロの娘たち)

パウロの娘たち

シスター テクラ・メルロは、「私たちの起源」の中で、そのときの様子を次のように書きつづっています。

聖パウロ印刷所と書院

私たちは、少しずつ、印刷所や併設された書院の仕事に経験をつんでいきました。それまで書院では、学校の教科書や文房具、市の印刷物のほかは売っていませんでした。

その後、少しずつ良書や信心用品を仕入れるようになり、印刷所とガッティ書院は「聖パウロ印刷所」と名付けられました。

新しい印刷所が、聖パウロと呼ばれるようになると聞いたとき、喜びを抑えることができませんでした。

私たちの必要を聖パウロに願い、何か困難に遭遇したときや、特に仕事をどうしていいかわからないようなとき、彼に祈りました。すると聖パウロは導き、教えてくれました。

そしてたびたび、家族以上に親しく身近な、愛する父として(ピエモンテの方言で)「サン・パオリーン」と呼んでいました。

私たちは、子どもが宿題をしながらわからなくなると、お父さんのところへ教えてもらいに行くように、そしてまたお父さんがよい子どもを見て教えてあげるように、たびたび聖パウロにたいして、小さい子どものようなふるまいをしていました。私たちの愛する保護者は、この善き父親のように、私たちを扱ってくださいました。

アルベリオーネ神父は、私たちが印刷のことを知り、また教区報「ラ・ヴァルスーザ」誌の印刷をはじめるにあたって、私たちを助けるようにと、シニョール・パオロ(パウロ・マルチェリーノ神父。後に日本の聖パウロ会の創立、文化放送を設立した)を送ってくださいました。