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プリンセス・アレッサンドラ・ボルゲーゼ来日出版記念講演会
─私が歩んできた道 新たな目で 新たな旅立ち─

2007/10/22

今年の1月、女子パウロ会から出版した『新たな目で 新たな旅立ち』の著書、イタリアの名門、ボルゲーゼ家の令嬢であるアレッサンドラ・ボルゲーゼさんが15日に来日し、東京と京都で出版記念講演会が行われました。

17日(水)の夜、四ッ谷の聖イグナチオ教会主聖堂で行われた講演会には、『新たな目で 新たな旅立ち』を読んで感動したのでぜひお話を聞きたいといらした方々など、500人近い方々が集まりました。才能に恵まれ、イタリアの上流階級で何不自由のない生活をしているアレッサンドラさんが語る神への回心のお話は、とても分かりやすく、豊かな物質生活をしている日本の私たちに、明確なメッセージを残してくださいました。ご紹介しましょう。

ボルゲーゼ講演会 ボルゲーゼ講演会
サインをするアレッサンドリアさん 著書の販売


神は引き出しの中に

『新たな目で 新たな旅立ち』を書くことによって、自分の姿を世にさらすことになりました。しかし、キリストと出会った人は、その体験を人々に伝える役目があります。

私の回心は、神に再び立ち戻った体験です。書いた本は、スペイン、フランス、ポルトガル、ロシアなどで翻訳され、大きな反響を呼びました。

最初のころの私を表現すれば、神を引き出しの中に収めていたような生活だったと言えます。信仰と離れていたわけでないのですが、しかし、信仰と生活がピッタリいっていたわけではありません。どちらかというと社会の方に重きを置いていました。

私は、人間として受けることができるすべてのことを受けていました。頭もよく、語学の才能もいただきました。しかし、当然ですが完全ではありませんでした。そういう中で、いつも不満足な私がいました。満たされていないものがありました。物質は、私の心を満たしてくれるものではありませんでした。


“秘跡”の力

神は人生のあるときに、道具と言える人を近くに置いてくださいます。私にとってそれは、長い間会っていなかった一人の友達でした。ある年、この友人とバカンスに行きました。そのとき友人からミサに誘われました。私は失礼にならないためだけにミサに行くことを承諾しました。そして8月15日の「聖母の被昇天」の日もミサに誘われました。「えっ、3日前に行ったばかりなのに?」と思いました。そのとき、私の心の奥で、友人に聖なる嫉妬を感じていました。ミサに行くのが、その人には当然だったのです。それは私にはないもので、その人が完全になっているように思いました。そのとき友人は一人の司祭を紹介してくれました。私はその司祭の精神的深み、文化的教養に感銘しました。彼は、神学院に来るように誘ってくれました。

神学院を訪問して驚きました。神学生たちが全面的に神を明け渡す生活をしていることに驚いたのです。司祭から「アレッサンドラさん、“ゆるしの秘跡”をどのくらい受けていませんか?」と尋ねられました。私は「ずいぶん受けていません。10年、11年……」司祭は「受けてみませんか?」と言い、私は「もちろん!」と答えました。しかし時間が遅くなっていたので、明朝にしようということになりました。

その晩、部屋に戻った私は、告白したい罪のすべてを書き出しました。ノートに書き並べながら気づいたのです。「自分の罪を分析するためではなく、神のゆるしを得るために“ゆるしの秘跡”に行くんだ」と。そして分かったのです。一番のことは、“私の中で神の来るべき場所を神に与えていなかったのだ”と……。

翌朝、“ゆるしの秘跡”を受けました。終わりに司祭が言いました。「あなたは強そうだが、秘跡が必要だ。毎日ミサに行きなさい!」「毎日ですか?」私は驚きました。しかし、司祭の言葉に従い、それからほとんど毎日ミサに行きました。それは、イエス・キリストの神秘に向かって、自分の心を開くためだったのです。この出来事は9年前のことです。この9年間にいろいろのことがありました。しかし、私のしたことではありません。イエスは私の肩に手を置いて、「一緒に歩もう」と言ってくれたのです。

このようにして本を書くようになり、いろいろなところでお話するようになりました。必要なときには「はい」と応えてきました。私が人々にもたらすことができるメッセージが大切なのだと思っています。

ボルゲーゼ講演会 ボルゲーゼ講演会


キリスト者ができること

キリスト者は、社会に対して何ができるのでしょうか。キリスト教は思想でも哲学でもありません。キリスト教は一つの出会いです。一人のお方とお会いすることです。この方は、人生の見方を変えることができる方です。その人の名は“イエス・キリスト”です。この方に出会った人は、この人を証しするように招かれています。日本のカトリック者はごく少数ですが、パン種のようになることができると思います。証し人となることが大切です。

成田空港から来るときに、東京は物質主義に満たされていると、すぐ分かりました。日本は技術もすごく発展しています。しかしそれだけです。物質主義の世界は、人々の目が遮られていて、見えなくなってしまうことがあります。いろいろな情報や声があり、何でも正しく思えて、そうすると絶対的真理がなくなってしまいます。イエス・キリストの愛の真理が見えなくなってしまいます。

証しするということは、押しつけることではありません。相手を尊敬する、相手を知るということも必要です。私たちの宗教が何を持っているのか、よく知ることが大切です。そうすれば他の宗教のこともよく分かります。

私は秘跡から力を汲み取っています。キリスト者として、教会、聖体、ゆるしの秘跡、司祭なしには不可能です。ここ数年、私が成功を勝ち得たのは、祈りと秘跡をとおしてです。今日、キリスト者であることは祈りと秘跡が必要です。

模範とする人はだれか、倣いたい人はマリアです。マリアは神から言われたことをすべて「はい」として受け入れました。一人の人が回心することによって分かることは、神がいるということだけでなく、その人をとおして、神が今も働き続けておられるということです。私は今、完成された女性だと思います。恐れがありません。神が愛であることを受け取ったことは、とてもすばらしいことです。


ボルゲーゼ講演会 ボルゲーゼ講演会
ビタリ神父と打ち合わせ 講演の後に本を求める人々


 


アレッサンドラさんは、「私に起こったことは、ありふれたことだと思います。だれにでもあること、起こり得ることです。だから私は話しに来ました」と言っておられました。本を書いたり、講演会をしたりするということに、特別な劇的な大回心の話を期待してしまいがちですが、「神との出会い、神への回心は、日常生活の中でだれにでも起こり得ることだ」というメッセージは、マザー・テレサの「インドまで来る必要はありません。あなたのまわりの人に、あなたの家庭の中でほほえみをかわしてください」という言葉と共通するものがあります。ありふれた毎日の中で、神と出会う……、アレッサンドラさんの使命は、信者であっても信仰をなくしつつある今の世にあって、足下に目を向けさせられるものでした。「秘跡と祈りから力をもらう」「神と出会う(自分の中に神の場を与える)ことはありふれたこと、だれにでもあること」という彼女の言葉は、心に残りました。そう生きたいと思います。


ボルゲーゼ家について

ボルゲーゼ家はシエナ出身の貴族で、教皇パウロ5世(1605-1621年在位)を出した名門中の名門です。(教皇パウロ5世には、1615年、遣欧使節の支倉常長が謁見しています。)ローマのボルゲーゼ公園の一角にあるボルゲーゼ美術館は世界的に有名な美術館のひとつで、ボルゲーゼ家歴代の美術コレクションが展示されています。美術館となっている建物は、シピオーネ・ボルゲーゼ(1576-1633)が夏の別荘として建てたものです。彼は芸術家たちのパトロンとして多くの作品を注文し、ベルニーニの最初のパトロンでした。

建物の完成から2世紀後の19世紀はじめ、ナポレオン・ボナパルトが、ボルゲーゼ家の多くの美術品をフランスに持ち出してルーヴル美術館に移すという事件がありましたが、このようなことで作品を失ったことがあったとしてもなお、ルネサンス・バロック期のイタリア美術のすぐれた作品が数多く残されています。

ボルゲーゼ美術館は、1902年にイタリアの国立美術館となりました。ベルニーニ、カラヴァッジョ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、テイツィアノ、ラッファエッロなどの作品が展示されています。プリンセス・アレッサンドラ・ボルゲーゼはそのオーナー館長です。

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