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チェチェン戦争の傷跡と子どもの医療支援

2008/02/25

2月17日、コソボがセルビアからの独立を宣言したというニュースが流れました。独立を喜ぶコソボの人々、反対に独立を認めないセルビアでは、コソボ独立を支援したアメリカ大使館などが、セルビア市民の襲撃にあい、大使館を護衛する警官と衝突している映像がありました。

今から、17年前、1991年のソ連連邦崩壊のとき、チェチェン共和国がロシアから独立を宣言しましたが、独立に反対するロシア政府は、その後2度に渡って武力攻撃しました。1994年~1996年の第1次チェチェン戦争、1999年からの第2次チェチェン戦争で、死者25万人、難民15万人、国内難民15万人が出ました。しかし、この戦いは、世界にあまり知らされませんでした。チェチェンの惨状を世界に知らせようとした記者のアンナ・ポリトスカヤさんは、2年前、自宅アパートのエレベーター内で何者かに撃たれ亡くなりました。

チェチェンの首都グロズヌイで外科医として働いているハッサン・バイエフ(Khassan Baiev)医師は、この戦いの中、敵味方の区別なく治療を行いました。しかし、このすばらしい行為のために、ロシア連邦軍とチェチェン過激派の両方から命を狙われるようになり、2000年、米国に亡命しました。

その後、バイエフ医師は、米国とチェチェンを行き来し、チェチェンの医療体制を改善しようと奮闘しています。特に、チェチェンの子どもたちのために「チェチェンの子どもたち国際委員会(ICCC)」を支援し、世界各地で講演してチェチェンの子どもたちの医療のための理解と支援を呼びかけています。

会場 岡田氏とバイエフ師
  通訳の岡田氏(左)とバイエフ医師

昨年に続き、2回目の訪日です。今回は、日本の先進的な形成外科医術を学ぶために来日し、埼玉医科大学総合医療センターの形成外科部門で2か月間研修されています。その間をぬって、休日の土・日に、日本各地での講演会活動を行っています。

2月17日いわき市、23日仙台市での講演を終え、24日、東京・文京区区民センターで講演会が行われました。2月23日は「チェチェン国際デー」です。今回の講演会は、「チェチェン国際デー」の一連のイベントとして位置づけられていました。会場には、100人余りの人が集まり、チェチェンの悲惨な状態と、ハッサン医師がこれからおこないたい子どもたちへの医療活動などについてお聴きしました。

ハッサン・バイエフ医師のお話

2月23日は、チェチェン民族にとって悲惨な日でした。強制移住という悲惨なことがあったのです。親から強制移住の辛い話は聞いていましたが、自分たちに、にわかにふりかかってくるとは思いませんでした。そして、文明から遠ざかっていくことになりました。

わたしの父は二重の屈辱を受けました。第2次世界大戦で従軍して負傷し、その傷が癒えないうちに移住の命令を受けました。1994年に起きたチェチェン戦争で帰るときを失い、未だにカザフスタンに住んでいる人がいます。カザフスタンでは、多くのチェチェン人が埋葬されています。そこにお墓のある人は、その場から去りたくないという思いがあり、カザフスタンにとどまっています。

バイエフ医師

今まで、3回チェチェンを訪れました。最初は2006年12月、次は2007年10月、そして3回目は、日本に来る前の2008年1月です。訪れるたびに、首都グロズヌイの復興は進み、公園にも噴水ができ、花壇の花も咲くようになりました。しかし、これは見せかけの再建です。ほぼ毎日、大きな村では1日に2人の葬儀が出ます。ガンや脳溢血が原因ですが、これも戦争体験のストレスからのものです。出生率が急激に上がっていますが、それにともない、多くの障害児が生まれるようになりました。

ロシアの南に位置するチェチェンは、ソ連時代は屈指のリゾート地でした。コーカサス山脈が国境となっています。2つの戦争で激しい破壊を被りました。

グロズヌイの惨状は、広島・長崎の惨状に似ています。手術中、電気が止まり、ローソクの灯の火や、石油ランプの下で手術をしました。自動車のバッテリーを使って手術したこともあります。麻酔薬もなく、歯科医で使う麻酔薬を薄めて使ったこともあります。爆弾で手足がグニャグニャになった人は、切断しなければなりません。医科用ノコギリがないので工具ノコギリを使ったり、傷口を縫うときも裁縫用の糸を使ったりせざるを得ませんでした。

スライド
スライド:手術中のバイエフ医師

グロズヌイの街は、チェチェン人だけでなく、多くの民族が暮らしていました。あらゆる民族の市民が攻撃を受けたのです。ある女性はロシア兵の狙撃で肩を撃たれました。病院に2か月間入院しました。それは彼女には近親者がいないので、彼女の帰る場所がなかったからです。近所の人が彼女の食事を作ってくれました。ところが、2000年2月にロシアの掃討作戦がありました。彼女は、足を切断した他の7人の患者とともに殺されました。

ロマー二さんという看護師は、わたしとともに英雄的行動で医療に携わっていました。手術用器具の上にアルコールをかけ、それに火を付けて滅菌消毒をしました。

ある日、隣町から大勢の負傷者が運ばれてきました。カザフスタンからやっとの思いで帰国した人々が攻撃を受けたのです。その中のひとりの男性は、手をやられていたので切断する必要がありました。でも、こう言うのです。「先生、どうか手を切り落とさないでくれ。これから家を建てるので、どうしても腕が必要なのだよ」と。「1%の可能性があるのなら切らないが、その可能性はないのだ」と伝えました。

子どもたちも銃撃戦に巻き込まれました。地下室に隠れていたのですが、地下室でも爆発が起き、多くの子どもが死んでいきました。約4万人の子どもが死亡しました。2万6000人の子どもが両親を失い孤児となりました。1万4000人の子どもが障害児となりました。地雷を踏んだのです。まるで子どもを狙ったようなものです。おもちゃ型の地雷が、子どもが集まる地域に蒔かれました。子どもたちは、おもちゃと思ってさわったり蹴ったりして、足や手を失ってしまったのです。

2000年に、米国に亡命しなければなりませんでした。当時難民たちは、ひとつの天幕に20~30人が暮らしていました。多くの人が結核に冒されていました。爆撃の爆音で耳をいため聴力を失った子、爆発の閃光を見て目が見えなくなった子どもたちがいます。

わたしは、米国の組織ICCC「チェチェンの子どもたち国際委員会」を支援しています。1万人の子どもが神経関係の障害を持っています。マハちゃんは、第1次チェチェン戦争のとき、お母さんがマハちゃんの盾となって亡くなり、彼女も両足を失いました。義足を作っていますが、成長過程にあるので、毎年義足を交換しなければなりません。

先天性障害児も急増しました。1万人以上の子が、神経疾患、口唇口蓋裂、ダウン症などの障害を持っています。グロズヌイから1,000キロ離れたロシア南部の町タガンログで、「オペレーション・スマイル」の無償の手術をしました。ロシアのいろいろな地域から来た子どもたち、150人ほどが保護者とともにバスでやってきました。お母さんたちは、手術をするお金も、旅をするお金もないのです。ICCCは、米国の無償口蓋裂手術の活動をチェチェン国内でできるよう働きました。手術を効率的に行うためには、グロズヌイに専門病院を設置したらよいと思います。しかし、病院をひとつ建てるためにはお金がかかるのです。「子どものための形成外科センター」を設立したいのです。支援をお願いいたします。

スライド
スライド:手術後の子どもを抱くバイエフ医師

質疑応答

質問:
 子どもたちの口唇口蓋裂の原因は何ですか?

答え:
 口唇口蓋裂は、12年間に、人に与えた精神的苦痛とすさまじい環境破壊があると思います。チェチェン戦争では、さまざまな大量破壊兵器が使われました。毎日行われる砲撃のストレスなど、複合的な結果として、そのような子どもが生まれてきたと考えています。

質問:
 チェチェンを度々訪問しているということですが、身の危険は?

答え:
 2000年当時、わたしに危害を与えようとした多くの人は、今はこの世にいなくなりました。今も、100%の安全があってチェチェンに帰っているわけではありません。ロシア軍の検問所を通るとき、何もおこらなければいいが……という思いで、チェチェンの中を行ったり来たりしています。市民は、わたしが子どもの病院を作ることを知っていますし、米国に住んでいることも知っています。

 わたしの活動については、透明性を確保しています。活動、金銭上のことはICCCのwebサイト上に詳しく載せて報告しています。ICCCは寄付によって支えられているからです。

質問:
 チェチェンにはたくさんの民族が住んでいたと言っていましたが、戦争後はどうなっていますか?

答え)民族構成については、戦前と戦後に大きな違いがあります。多くの人々がグロズヌイに住むことをあきらめて出て行ってしまいました。ロシア語を第一言語にしている3,000人の人々が、グロズヌイに戻ってきました。わたしもチェチェンを歩いていて、チェチェン人ではない人、つまりロシア語を話す人だなと分かる人が多くなりました。戻りたいけれど、実際は戻ってくることができない現状があります。できるだけ早く戻ってほしいと思っています。

サイン サイン
バイエフ医師の著書『誓い』 サインをするバイエフ医師

 

わたしはこれからも困っている子どもがいれば、どこへでも行くつもりです。宗教の違い、肌の色の違いで差別して来ていません。これからも同じ姿勢です。「子どものための形成外科センター」設立のために、経済的な助けをお願いしたいします。ささやかでも、貴重な支援です。

※バイエフ医師への寄付、またバイエフ師招聘資金の募金のご協力をお願いいたします。
   郵便振替:00180-6-261048
   口座:チェチェン連絡会議 …… 通信欄に「バイエフ」と明記してください。
※ハッサン・バイエフ医師の講演会については、下記ホームページでご覧ください。
   「ハッサン・バイエフを呼ぶ会」http://tokyocinema.net/baiev.htm
※チェチェン連絡協議会:http://chechennews.org/clc/
※チェチェンニュース:http://chechennews.org/

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