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みなと・9条の会 3周年記念集会“沖縄から見た憲法9条”

2008/03/17

「みなと・9条の会」は結成3周年を迎え、3月9日(日)の午後、港区の麻布区民センターで「沖縄から見る憲法9条」と題した記念集会を開催しました。オープニングの沖縄の古典舞踊、沖縄出身の衆議院議員糸数慶子さんの講演、9条の会事務局長の小森陽一氏のお話、沖縄民謡の唄と踊りという内容でした。

沖縄古典舞踊
オープニングの沖縄古典舞踊(植竹しげ子と仲間たち)

 

講演「軍隊は国民を守ってきたか」  講師:糸数慶子氏

プロフィール:
1947年、沖縄県読谷村生まれ。読谷高校卒業後バスガイドとなり、常に平和の視点と自然や文化にスポットをあてて沖縄を紹介。
1922年、県議会議員選挙で初当選。3期連続当選後、2004年参議院選挙で初当選。
2006年11月、県知事選に挑戦。
2007年7月、参議院選挙で2度目の当選を果たす。
 

糸数さん

日本の米軍基地面積の75%が、沖縄にあります。

沖縄戦では、54万人の米軍に対して、日本側は、日本軍10万人と地元からの徴用1万人(その中には、ひめゆり部隊など13~18歳から40歳の女性たち、17、8歳の少年たちから、60歳までの男性が含まれている)でした。読谷村に上陸したのは、その近くに日本軍の飛行場があったからです。今の嘉手納基地の飛行場にあたります。4月1日、米軍の上陸は、無血上陸でした。6月23日、日本軍としての最後の戦いと言われました。なぜ日本軍は住民を守らなかったのでしょうか。

住民が隠れた壕のうち、対照的な2つの壕がありました。読谷村の波平壕(なみひらごう)には、1,000人が隠れていました。この壕のリーダーは、かつてハワイに移住していて日米の違いを知っている人でした。その人は「無駄に命を落としてはいけない。“ぬちどう宝”ではないか」と仲間に言い、米軍の前に投降して全員の命が助かりました。チリチリガマは、かつて満州に住んでいた人がリーダーでした。彼は日本軍がどういうことをしてきたか知っていました。壕の中に入った140人ほどのうち、80人ほどが亡くなりました。その中の50人が子どもでした。この2つの壕の距離は、2kmほどでした。

摩文仁の丘には、30余りの県の慰霊碑が建っています。沖縄戦で第32軍を指揮した牛島満中将の名も刻まれています。1945年6月23日の朝、黎明の刻、彼は腹を十文字に切ってみごとに亡くなりました。

ひめゆりの塔では、どれだけの観光客を涙に誘うことができるかが、バスガイドの腕の見せどころです。しかし、県民の戦場体験から出発して平和ガイドを行いました。沖縄県民が、超党派で沖縄県民の戦場体験を伝えていく必要があります。沖縄は、面積からみると日本のわずか0.6%ですが、米軍への防波堤として働いたのです。

糸数さん

旧石川市で起きた「永山由美子ちゃん事件」(1995年)があります。由美子ちゃんは6歳のときレイプされて殺されました。当時は、日本国憲法の行き届かなかった沖縄だったので、平和憲法の下に復帰したいと強く望みました。1972年、沖縄は、祖国日本に復帰することができました。佐藤・ニクソン会談の中で話されたことなのですが、その影に密約があったのです。会談の中で、日本は沖縄を米国に売ったのです。復帰して35年経っても、沖縄の状態は何も変わっていません。

米軍の再編成に、沖縄県民は大きな期待を寄せていました。一番危ないのは、普天間基地でした。沖縄は、米軍の基地を受け入れなければ、生活が成り立っていきません。

今年の2月にも、在沖縄米海兵隊員による14歳の少女への暴行事件がありました。レイプは親告罪で、被害者本人が訴えなければ事件は成立しません。県民はいろいろな問題で泣いているので、米軍を去らせなければいけません。基地を米国に持って帰ってもらわない限り、県民は本来の平和を享受することはできないのです。

 

糸数さんは、平和・環境・教育・子育て支援など、幅広い分野で活躍しています。沖縄の戦争中も、戦後も、日本でありながら、日本の負の部分を背負わされている沖縄、基地によって生活が成り立っている人も多く、米軍と共存している形を強いられている沖縄に、もっと監視の目を向ける必要があります。

 

おはなし「憲法改正と九条の会のこれから」  小森陽一氏

プロフィール:
1953年生まれ。東京大学教養学部教授(日本近代大学)
2004年、井上ひさし・梅原猛・大江健三郎・奥平康平・小田実・加藤周一・澤地久枝・鶴見俊輔・三木睦子の9氏により発足した「9条の会」の事務局長を努める、全国を飛びまわり講演活動を行う。

休憩の後、「9条の会」事務局長の小森氏のお話がありました。小森氏は、ニュースの陰に隠れている政府の思惑に、国民がしっかり目を開いて、そのやり方を見抜いていく必要を力強く説き、会場は小森氏に燃やされました。

小森氏

「今の戦争は、自衛権のために戦争を始めていますが、まだ起きていない予測される事態に対して、自衛権を発しているのです。そして一旦始めたら、後は止めなければいいのです。2005年10月28日に、自民党は新憲法草案を出しました。なんとかして自衛隊を軍隊にしようとしているのです。

庶民の武器は、記憶力です。庶民が真実を見抜く力を身につけることです。9条を生かした政治が行われるように力をあわせましょう。6か国会議の行く末は、日本にある米軍基地の存続にも大きく影響します」と、力強く会場に呼びかけました。政治的な動きをしっかりと読み解く力を身につけたいものです。

 

小森氏の熱の入ったお話の後、沖縄県無形文化財八重山古典民謡保持者に指定された大工哲弘氏の沖縄民謡を聴きました。最後は、会場の参加者もステージに上がったり、通路に出てきて踊り出しました。沖縄がグッと近くなった集いでした。

大工さん みなと9条の会
沖縄民謡を歌う大工さん   

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