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山本神父入門講座
2. イエスの洗礼と宣教の始め
イエスの洗礼
イエスが宣教活動を始めたのは30歳のころであった(ルカ3章23節)。それまで無名の人であったイエスが人に知られるようになったのは、洗礼がきっかけである。
そのころ、人々の注目を集めていたのは、洗礼者ヨハネである。「らくだの毛衣を着、腰に革帯(かわおび)を締め、いなごと野蜜を食べていた」(マルコ1章6節)ヨハネは、厳しい調子で悔い改めを説いた。アブラハムの子孫で、神の民イスラエルの一員だと、血筋を誇っても、それにふさわしい生活が伴わなければ滅びること。余分に持っている人は、持たない人に分けるように、徴税人には規定以上の取り立てを禁じ、兵士たちには金をゆすり取ったりせず、給料で満足するよう説き、罪のゆるしのために洗礼を授けていた。イスラエルには、久しく預言者が現れなかったので、人々は、ヨハネのもとに殺到して洗礼を受け、ヨハネがメシアではないかと思っていた。
そんな人々に、ヨハネは、自分が救いの到来を告げる「荒れ野で叫ぶ者の声」に過ぎないと言った(ルカ3章4~6節)。やがて来られる方について語った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕(み)を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる」(ルカ3章16~17節)。
ヨハネの洗礼は、洗礼者の説教によって、自分の悪かったことを認め、ゆるしを願うものであって、神による罪のゆるしと内心の恵みによる一新を与えるキリスト教会の洗礼とは違う。ヨハネはそれを率直に認め、やがて来られる方の聖霊と火による洗礼こそ、人の救いに必要な洗礼であることを説いた。それによって、洗礼者ヨハネは人々に注意を、やがて来られる方に向けようとしたのである。
「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適(かな)う者』という声が、天から聞こえた」(ルカ3章21~22節)。神が聖霊を遣わして、洗礼を受けたナザレのイエスが、ヨハネが言い続けていた「わたしよりも優れた方」であること、それも普通の預言者ではなく、「神の愛する子」であることを、人びとに証しをし、紹介し、救い主として神の国の福音を伝えるために派遣したのである。
ここではイザヤ書42章1節が引用されていると考えられている。こうしてイエスの宣教の準備は整った。ルカは3章のはじめに、ヨハネの活動開始の時期を説明しているが、それはまたイエスと関わる歴史的人物たちでもある。ポンティオ・ピラトはイエスに死刑を宣告したローマ総督、ヘロデとフィリポはヘロデ大王の息子、大祭司カイアファと舅である大祭司アンナは、最高法院でイエスの裁判を行った。