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山本神父入門講座

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7. 中風の人のいやしと罪のゆるし

中風の人をいやすイエス
中風の人をいやすイエス

イエスが病人をいやしておられたとき、「男たちが中風を患(わずら)っている人を床に乗せて運んできて、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。しかし、群衆に阻(はば)まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした」(ルカ5章18~19節)。

裏階段を通って平屋根の瓦まではがすのは乱暴であるが、どうしても治してほしい、というひたむきな心はよくわかる。


「イエスはその人たちの信仰を見て、『人よ、あなたの罪は赦された』と言われた」(ルカ5章20節)。この人は中風よりも重大な問題を抱えていた。彼は、神の掟を破り、神に背いた罪人であった。

病気や悪魔つきのような、心身の異常や機能麻痺(まひ)には、いやしがある。しかし、罪は人間と神との友好な関係を損(そこ)なうものであるから、いやしでは解決しない。神の赦し、神との友好な関係の回復が必要なのである。だから、イエスはまず中風の人の罪を赦(ゆる)したのである。


その場には、イエスに批判的な人々がいた。ルカはさり気ない仕方で、読者の注意をその人々に向ける。

「ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。」ファリサイ派は、ユダヤ教の有力な一派で、律法を細かいところまで厳しく守ることを教え、人々に強い影響力を持っていた。

「この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである」(ルカ5章17節)。イエスの言動に疑いを持ったユダヤ教の権威者が、動員したのかもしれない。この人々はしだいにイエスへの敵意を強め、イエスを十字架に掛けて殺してしまうのである。


「律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。『神を冒涜(とく)するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか』」(ルカ5章21節) 。

ユダヤ人は、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」という掟を一番大切にしている。神だけができる罪の赦しを行ったイエスは、神のほかに「自分は神だ」と言っていることになる。それはこの掟に背き、神を冒涜することだ。ファリサイ派の人々と律法学者たちはそう考えた。


「イエスは彼らの考えを知って、お答えになった。『何を心の中で考えているのか。“あなたの罪は赦された”と言うのと、“起きて歩け”と言うのとどちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。』

そして、中風の人に、『わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい』と言われた。その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った」(ルカ5章22~25節)。


イエスはファリサイ派の人々と律法学者たちには、人間としか見えなかったから、彼らの疑問にも、無理のない面もある。そこでイエスは、神の権威でしかできない中風の人のいやしを行うことによって、自分が罪の赦しを含めて、神の権威と力を持っていることを示されたのである。それによって、掟だけがすべてで、神が新しいことをなさるはずはないと決めつけるファリサイ人と律法学者たちの頑(かたく)なさに挑戦されたのである。

Laudate 注:聖書の引用中にある「冒涜」の「涜」の字は、1987年の新共同訳聖書とは異なります。


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