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山本神父入門講座
8. イエスと罪人、徴税人
イエスが徴税人レビを招いて弟子にしたために、ファリサイ人、律法学者とイエスの対立は激しくなった。中風者のいやしのあとのことである。「その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた」(ルカ5章27~29節)。
イスラエル人は、自分たちが神に選ばれた民で、十戒を与えられ、神と特別な契約を結んだ神の民であり、救いは神の民だけのものだと信じていた。だからイスラエル人でない異邦人は、神の救いから除外されており、律法を守らない者は、血筋ではイスラエル人であっても、異邦人と同じように救いから除外される「罪人」と考えていた。
その「罪人」の代表的なものは、売春婦、徴税人であった。徴税人は、当時ユダヤを支配していたローマのために、税金の取り立てを請け負ったユダヤ人である。異邦人支配者のために、同胞から税を取り立てること、定められた額より多く取り立てるという理由で、ユダヤ人から憎まれ、「罪人」として排斥されていた。
イエスはそのような徴税人を招いて弟子にしたのである。ひどい差別と侮蔑を受けてきたレビと、同僚の徴税人、罪人たちが、大喜びしたのは当然である。しかし、ファリサイ人と律法学者には、イエスの徴税人たち対する親切は、律法を遵守しなくてもゆるされる、律法は守らなくてもよいのだと教えるに等しいことだった。
彼らはイエスの弟子たちにつぶやいた。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか」(ルカ5章30節)。イエスは答えた。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いで悔い改めさせるためである」(ルカ5章31~32節)。
ファリサイ人と律法学者は、律法に背く人は裁いて、「罪人」のレッテルを貼り、救いから除外されたものと断定した。
イエスは「罪人」が、悔い改めて、救われることを望み、そのために働かれた。徴税人も他の人と同じ人間であること、徴税人としてのこれまでの行いも、これからの生き方によってゆるされ、新しい展望が開けることをイエスは教えた。
ルカ福音書は、19章でもう一度、徴税人について書いている。徴税人の頭(かしら)で金持ちだったザアカイは、イエスがエリコを通ったとき、先回りして、いちじく桑の木に登り、イエスを見ようとした。
ところが、それに気づいたイエスが声をかけた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは喜んでイエスを迎えた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」と言って非難した人もあったが、ザアカイは立ち上がって、財産の半分を貧しい人びとに施し、だまし取った人には、4倍にして返すと言った(ルカ19章1~5節参照)。
金儲けだけしか考えなかった男に、新しい価値観が芽生えた、神の国の福音の力である。過去の罪行によって断罪していれば、この回心はなかった。
イエスは裁きのために来たのではない。静かなイエスの声が聞こえる。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子(イスラエル人)なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」(ルカ19章9~10節)。