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山本神父入門講座

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13. 水をぶどう酒に―カナでの婚礼

カナの教会
カナの教会

イエスが弟子たちと一緒に活動し始めて間もないころのことである。イエスの育ったナザレの近くガリラヤのカナで婚礼があって、イエスも弟子たちと共に招待された。そこにはイエスの母マリアも来ていた。

宴会の最中に大変なことが起こった。ぶどう酒が足りなくなったのである。いち早く、それに気づいたマリアは、イエスなら何とかしてくれると思ったのか、すぐにイエスのところに行って、そっと「ぶどう酒がなくなりました」と言った。困惑に気づいた母の眼、急場を救おうとする母の心、「お願い。何とかして」とも言わず、控え目に伝える態度が奥ゆかしい。

祈るような気持ちでいるマリアに、イエスは言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」冷たく響く返事である。しかし、マリアはさりげなく、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と召し使いに告げている(ヨハネ2章3~5節参照) 。いつでも、イエスの望みに従って動けるようにしたのである。イエスがいつも神の望みを果たすことを第一にしていることはマリアもよく知っていた。

「自分の時がまだ来ていない」というのは、それと関係があるのかも知れない。母の直感でマリアはそう感じたに違いない。しかし、心のやさしい、親切なイエスが、母の願いを無視して、困った新郎新婦を放っておくはずはない。マリアはそう思って召し使いに、「何でもいいから、言われたとおりにするように」と言ったのである。マリアの予感が当たった。「水がめに水をいっぱい入れなさい」とイエスが言った。それも清めの手洗い水用の80~120リットル入りの大きな水がめ6個にである。「何のために」とか「要るのは水ではない、ぶどう酒だ」とか思ったかも知れない。

しかし、マリアの、「言われたとおりにするように」という言いつけが効いた。召し使いたちがそのとおりにすると、今度は、「さあ、それを汲んで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言った。召し使いたちは運んで行った。世話役が味見をしたところ、それはよいぶどう酒になっていた。。

清めの瓶(かめ)
清めの瓶(かめ)

この一部始終を見て、イエスの弟子たちはどうしただろうか。ヨハネ福音書はまとめている。「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた」(ヨハネ2章11節)。宴の最中にぶどう酒がなくなるというのは、婚礼にとって致命的なことである。イエスには、イエスの立場があった、しかし、イエスも人を愛し、困った人を助けようという点ではマリアとおなじであった。婚礼というわたしたちにも馴染みのある場でのこの出来事は、イエスとマリアの優しさと心遣いを感じさせ、頼りにしてよいのだという気持ちを起こさせる。

わたしたちは思いがけない困難や苦しみに出会うことがある。そんな時マリアの助けを願おう。マリアは、「この人には○○が足りません」とイエスに取次ぎ、イエスはその問題の解決を図ってくださるに違いない。そして、マリアはわたしたち一人ひとりに言われる。「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と。


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