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山本神父入門講座

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31. 罪の赦しとは何か

主の祈りの教会
主の祈りの教会

罪人の赦しについては、これまでにも幾度か触れた。その都度、赦しの色々な面が現れてきた。中風の人が運ばれてきたとき、イエスが「人よ、あなたの罪は赦された」と言われたのを、律法学者やファリサイ派の人々は聞きとがめて、「ただ神のほかに、いったいだれが罪を赦すことができるだろうか。」と言った。それに答えてイエスは、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」と言い。中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った(ルカ5章17-26節 参照)。罪を赦すことは神だけがおできになる。イエスはその力を持っておられる。

その神の力は、中風をいやす力でもある。そして、その神の力が、中風の人の罪を赦し、中風をいやし、全身まひの過去を清算し、自立して歩む新しい出発を可能にしてくださった。イエスの弟子になった徴税人レビも(ルカ5章27-32節)、イエスが泊まられたエリコの徴税人ザアカイも(ルカ19章1-10節)、ファリサイ派のシモンの宴席に入って、イエスから「あなたの罪は赦された」と言われた「罪深い女」も(ルカ7章36-50節)、みんなイエスのことばでその過去が「御破算」になり、新しい出発が可能になった。過去の清算と新しい出発は罪の赦しの不可欠の要因なのだ。前回の三つのたとえ話もそれを示している。


罪と赦しについて、イエスは別のところで次のように言っておられる。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。そのような者は、これらの小さな者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸(か)けられて、海に投げ込まれる方がましである。あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい」(ルカ17章1-5節)。罪を重ねても、謝れば(謝りさえすればとまでは言わないが)、何回でも赦されるというのでは、罪人を増長させることになりはしないか。せめて何回までと上限位はきめるべきではないかと、つい考えてしまう。十二使徒の間でもそれは議論になったようである。

ある時、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスはお答えになった。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」そして、自分からそれを説明された。「そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐(あわ)れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった」(マタイ18章21-27節)。この家来は、借金を帳消しにしてもらったから、自分も妻も子も、また持ち物も売らずに済み、そのまま新しい出発ができることになった。それは、主君がその家来を憐(あわ)れに思って、赦し、借金が無かったことにし、具体的には借金を、「帳消し」、「御破算」にしてくれたおかげである。

わたしたちが罪の赦しを信じたり、理解したりするのが難しいのは、「帳消し」、あるいは、「御破算」にすることが難しいからである。

まず、たとえの続きを聞こう。「ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕らえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。仲間はひれ伏して『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた(マタイ18章28-30節)。

家来と仲間の借金を比較すると、1タラントンは6000ドラクメに相当するから、家来の借金百万タラントンは60億ドラクメになる。1デナリオンはローマの銀貨で、一日の賃金にあたる1ドラクメと等価であるから、仲間の借金百デナリオンは百ドラクメである。60億ドラクメの借金を帳消しにしてもらった家来は、百ドラクメの借金を赦してやることさえしなかった。帳消しにしてもらうことはありがたいが、帳消しにしてあげることは簡単ではない。イエスはそのことをご存じで、このたとえを話されたに違いない。

仲間たちは一部始終を主君に報告した。怒った主君は、家来を呼びつけて言った。「不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐(あわ)れんでやったように、お前も自分の仲間を憐(あわ)れんでやるべきではなかったか。』そして、借金を返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した(マタイ18章31-34節)。


「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう」(マタイ18章35節)イエスの結びの言葉である。この言葉はわたしたちが、よく唱える「主の祈り」の一節を思い起こさせる。「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」わたしたちは、神様からも、周りの人々からも沢山のことを赦してもらっている。けれども人を赦すことが難しい。主の祈りを唱えるたびごとに、赦されていることを感謝し、人を赦す力を願うことにしよう。


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