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山本神父入門講座

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33. エルサレム入城

ベトファゲの教会
ベトファゲの教会

イエスと十二使徒は旅をつづけ、死海近くのエリコに着いた。海抜マイナス250mのエリコから、海抜790mのエルサレムまでの急な坂道を、イエスは先頭に立って進んで行かれた。そして、「オリーブ畑」のふもと、ベトファゲとベタニアの近くに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出された。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい」。二人が行くと、言われたとおり子ろばがいたので、ほどき始めると持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。二人は「主がお入り用なのです」と答えて、子ろばをイエスのところに引いて来た。


ここで場面は意外な急展開をする。二人の弟子は、子ろばの上に自分の服をかけ、イエスを乗せた。「イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかれたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。『主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光』。いつの間にか、行列、それも、メシアである王が都エルサレムへ入城する行列になっていた。イエスの反対者たちは、衝撃を受け、憤慨した。「ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、『先生、お弟子たちを叱(しか)ってください』と言った。イエスはお答えになった。『言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす」(ルカ19章28-40節)。

癒(いや)しや奇跡を、イエスは人に知られないようにし、ご自分がメシアであることは、だれにも言ってはいけないと言い続けてこられた。そのイエスと同一人物とは思えない大胆な行動である。「あなた方がどんなに反対しても、わたしがメシア・王なのだ。」イエスの言動はそう宣言しているかのようである。エルサレム入城の時、イエスはそれまでとは反対に、自分がメシア・王であることを積極的に示そうとしておられる。

多数の人物の動きとそれに対する反応が幾重にも重なり合うこの出来事は、神様が演出された一種の預言のようなものではないだろうか。神は、この入城を通して、イエスがメシア・王として、王座に就くために、都エルサレムに入城したというメッセージを告げておられる。四つの福音書の記述に従って、このメッセージをさらに深く探ってみよう。

マタイとヨハネは、ゼカリアの書第9章を要約して引用する。「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばに乗って』」(マタイ 21章5節、ヨハネ12章15節参照)。ゼカリア書の元の文章を読んでみよう。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗ってくる。雌ろばの子であるろばに乗って。わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ」(ゼカリア 9章9-10節)。

ろば、特に子ろばは、馬と違って、戦争には役に立たず、日常の仕事に用いられ、平和をあらわす。ユダヤ人たちはダビデのように、武力で近隣を制圧するメシアを待望していた。しかし、イエスは、ゼカリアが歌ったような平和の君、争いではなく平和をもたらす救い主として都に入城された。戦車も軍馬も弓もいらなくなる時を告げるメシアである。

旧約聖書は、ダビデの王位継承の争いのなかで、似た場面を描いている。ダビデの死が迫った時、ダビデの息子アドニヤが、独断で王位に就くと宣言した。ソロモンを後継ぎと決めていたダビデの命を受けて、「祭司長ツァドク、預言者ナタン・・・は下って行った。彼らはソロモンをダビデ王のらばに乗せ、ギホンに連れて行った。祭司ツァドクは天幕から油の入った角を持って出て、ソロモンに油を注いだ。彼らが角笛を吹くと、民は皆、『ソロモン王、万歳』と叫んだ。民は皆、彼の後に従って上り、笛を吹き、大いに喜び祝い、その声で地は裂けた」(列王記上1章38- 40節)。このようにしてソロモンはイスラエルの王となった。子ろばに乗ってエルサレムに入城したイエスの姿は、ソロモンの故事を思い起こさせる。王になることを拒む勢力の謀略に打ち勝って、都入りしたソロモンのように、イエスもユダヤ人の抵抗のなかで、メシア・王としてエルサレムに入城されたのである。

この行列のなかで、十二使徒は何を感じ、何を考えていたのだろうか。夢心地で、「やはり、イエスは栄光のなかでメシアとして着座するのだ」、三回の受難の予告は悪夢だったとでも考えたのではないか。しかし、それはやはり夢で、現実となったのは、受難の予告であった。


福音書は、エルサレム入城をイエスの受難の始めととらえている。教会暦も同じである。復活祭の一週間前の日曜日は「受難の主日」とされ、福音朗読と、棕櫚(しゅろ)の枝を祝別して信徒に配る儀式で、イエスのエルサレム入城を記念し、受難の週・「聖週間」の始まりを画する。「聖週間」には、最後の晩餐(ばんさん)を記念する「聖木曜日」、イエスの十字架の死を記念する「聖金曜日」、葬られたイエスの「不在」を静かに記念する「聖土曜日」、そして、その深夜、イエスの復活を喜びのうちにたたええる「復活徹夜祭」が始まる。

長い受難の道はイエスのたどる王道である。イエスはどのような心で、エルサレムに入城されたのだろうか。次の聖書のことばがそれをよく表しているように思う。「あなたは、いけにえや献(ささげ)物を望まず、むしろ、わたしのために体を備えてくださいました。・・・そこで、わたしは言いました。『御覧ください。わたしは来ました。聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、神よ、御心を行うために』」(ヘブライ10章5-7節)。


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