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山本神父入門講座

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53. 堅信の秘跡

イエスの洗礼

イエスは使徒たちに聖霊を約束された。イエスも宣教の始めに聖霊を受けた。洗礼者ヨハネから洗礼を受けた直後である。イエスは、「天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」(マルコ 1章10-11節)。 イエスの宣教はそこから始まった。

今、イエスは使徒たちを、宣教に遣わそうとしている。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」 (使徒言行録1章4-5節)。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる」 (使徒言行録 1章8節) 。

この約束は五旬祭(ペンテコステ)の日に実現した。使徒たちは、ユダヤ人を恐れる臆病をかなぐり捨てて、ペトロを先頭に堂々と説教した。彼らの説教は聴衆それぞれの国語で理解された。そして、3000人が受洗した (使徒言行録 2章1-42 節参照 )。

この日を境に使徒たちは、物怖じしないキリストの証人となった。それまで、イエスが3度も繰り返された受難、死、復活の予告が理解できなかった彼らが、聖霊を受けて、その意味を悟り、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」(マタイ16章24-25節)という言葉どおりにイエスに従う一歩を踏み出した。

だから、使徒たちは聖霊を大切にした。洗礼の時に聖霊を受けなかった人には、使徒たちが行って聖霊を授けた。(使徒言行録 8章14-17節;19章1-7節)このようにして、洗礼との関連で聖霊が授けられる堅信の秘跡が形作られていった。


今のカトリック教会では、成人の堅信は洗礼式に引き続いて行われる。しかし、種々の理由で、洗礼と分けて行われることも多い。今のような複雑な社会の中では、受洗後ある期間、信仰生活を経験し、それなりの準備をして堅信を受ける方が、より現実的であるとも考えられる。教会では、幼児洗礼の子供たちが10歳前後で堅信を受ける。毎年もしくは隔年、このような子供と成人が一緒に司教を迎えて堅信式を行う教会も多い。

洗礼と分けて行う場合、堅信はミサの中で授けられる。集会祈願で司教は、「いつくしみ深い父よ、約束された聖霊をわたしたちにつかわしてください。わたしたちが、主イエス・キリストの福音をすべての人にあかしする者となれますように」と祈る。朗読と説教の後に、洗礼の約束の更新と信仰宣言によって堅信の儀が始まる。

司教は受堅者一同に尋ねる。「あなたがたは悪霊と、そのすべてのわざと、誘惑を退けますか。」受堅者は「退けます」と答え、洗礼の約束が更新される。続いて司教は、4つの質問をする。「あなたがたは、天地の創造主、全能の、神である父を信じますか。父のひとり子、おとめマリアから生まれ、苦しみを受けて葬られ、死者のうちから復活して、父の右におられる主イエス・キリストを信じますか。50日祭の日、十二使徒に与えられた聖霊、きょう同じように、堅信の秘跡によってあなたがたに注がれる神のいぶき、いのちの与え主である聖霊を信じますか。聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じますか。」受堅者はその各々に「信じます」と答える。司教は、「これこそわたしたちの信仰、主イエス・キリストにおいて、誇りをもって宣言する信仰」と宣言し、一同が「アーメン」と答え、信仰宣言が終わる。

これでいよいよ堅信かと思うが、もうひとつの質問が司教からなされる。「皆さん、これから堅信の秘跡を受けられるかたがたとともに、信仰をあかしする決意を新たにいたしましょう。あなたがたは教会の信仰を固く守り、力強くあかしすること約束しますか」。信仰をただ抱き、宣言するだけでは足りない。それぞれが置かれている場、家庭、職場、行く先々で、わたしたちの言動が、宣伝・プロパガンダである必要はないが、信仰をにじませたものであるように、そうすることを約束するのである。「約束します」と答えよう。

今度こそ、堅信式の中心部である。使徒の後継者である司教は列席の司祭とともに、受堅者に按手(あんしゅ)をし、列席者に呼びかける。「洗礼を受けて神の子どもとなったこの人々の上に、全能の神である父が聖霊を送ってその信仰を強め、御子キリストの姿にあやかるものとしてくださるように祈りましょう。 全能の神、主イエス・キリストの父よ、あなたは水と聖霊によってこの人びとに新しいいのちを与え、罪から解放してくださいました。今この人々の上に、助け主である聖霊を送り、知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し敬う心をお与えください。主イエス・キリストによって。アーメン。」

聖霊のシンボル

次に司教は受堅者一人ひとりに按手しながら聖香油で額に十字架のしるしをし、「○○○○、父のたまものである聖霊のしるしを受けなさい。」と言う。受堅者は「アーメン」と答え、堅信の秘跡が授けられる。

堅信の秘跡を終わって、ミサは通常通り続けられる。共同祈願では、「ことばと行いによってキリストのまことのあかしびとになれますように。」とか、「日々の生活を通して十字架によるキリストの救いを世に示すことができますように。」とか、「各自の持ち場で使徒としての使命を果たすことができますように。」とか、祈りがささげられる。何を、どうすればあかし人になれるのか心配になってくる。


イエスの言葉が思い出される。「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。・・・また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証(あか)しをすることになる。引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である」(マタイ 10章16-20節)。

聖霊を受けるとはこういうことである。このような危機的状況の中で、わたしたちを助けて下さる聖霊は、日常の場において、あかし人として何が必要か、何をすべきであるかを示してくださるに違いない。

パウロは言っている。「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが言葉に表せないうめきをもって執り成しでくださるからです」(ロマ 8章26節)。 堅信の秘跡のよってわたしたちはこのような聖霊を受ける。その導きを信じ、すべてを委ねて、よいあかし人になることができるように、祈り、努力しよう。


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