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新世紀ルーツへの巡礼

目次

ヤコボ・アルベリオーネ司祭へ

「決定的な夜」を過ぎ越したヤコブは、司祭として叙階されます。アルベリオーネ神父の司祭としての活動、それはいずれパウロ家族創立の準備になるものですが、今回はその歩みをご紹介しましょう。

ヤコブ・アルベリオーネ、司祭となる

新司祭のグループ
新司祭のグループ

新司祭アルベリオーネ
新司祭アルベリオーネ

1906 年から1907年の学年度は、ヤコブの生涯において大切な年でした。司祭になるためには、いろいろの準備が必要です。司祭になるためには、いろいろの準備段階がありますが、直接の準備は助祭職と呼ばれる、司祭に奉仕する期間です。ヤコブは、レ司教により、神学校の聖堂で助祭に叙階されました。

この期間に、ヤコブは司祭職への準備として、典礼儀式や典礼全般に関わる勉強に多くの時間を費やしました。

*1司祭叙階

ヤコブは、1907年6月29日、アルバの司教座聖堂で、同級生10名と一緒にレ司教によって叙階されました。23歳でした。司祭の叙階式をもって学年度が閉じました。

この叙階式には、両親や兄弟をはじめとして、同郷の村の人たちが大勢参加したといわれています。そこで、人々は新司祭ヤコブから祝福を受けたのでした。

はじめての説教壇
   はじめての説教壇

叙階式のすぐ後、新司祭ヤコブは、郷里・ケラスコ村の教会で翌日(日曜日だった)、初ミサをささげるようにとの主任司祭の歓迎の招きにこたえるため、出発しました。馬車での旅行でした。

その時期は祝日といえども、麦の刈り入れで忙しいときでした。しかし、人々は、新司祭を喜び、祝い、またヤコブの家族の喜びにあずかるため参加したのでした。

このミサの中で、ヤコブの生涯にとって大切な役割を果たした主任司祭、モンテルシーノ神父が説教をしました。さらに、彼の好意で宴会が設けられました。人々はヤコブの司祭叙階を喜び、かれの今後の活躍に大きな希望を抱いたのでした。

ケラスコ教会看板
「この教会で最初のミサが献げられたとある」

新司祭ヤコブは、初ミサのとき、慣例どおり記念のご絵をみなに配りました。そこには「父母はわたしを見捨てようとも、主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます。」という詩編(27.10 参照)が書いてありました。この言葉をもって彼は、自分が選んだ道において主への奉仕に全面的に自己をささげるということを、再確認しました。

新司祭ヤコブにとって、この喜ばしい司祭叙階の日に、特に感謝したい3人の人がいました。母テレサ、ケラスコ小学校の女教師カルドーナ先生、ケラスコのサン・マルティノ教会の主任司祭モンテルシーノ神父でした。のちに自分の歩んできた道のりを振り返ったときにつづった手記に、自分が司祭になることができたのは、このような人たちのおかげであると書いています。

 善良な女教師カルドーナ先生が、受け持ちの80人の児童の何人かに、大きくなったら何になりたいかについて尋ねた。
 かれは二番目にあてられた。
 少し考え込んでから、神に照らされたような気がして、生徒たちの驚きをしり目に、決然と次のように答えたのだった。
 《ぼくは司祭になります》。
 先生はかれを励まし、いろいろと援(たす)けてくれた。
 これが、最初のはっきりした光であった。それまでにも、ほのかなあこがれを漠然と心の底に感じてはいたが、これという実践的な結果をあげてはいなかった。
それがあの日からは仲間たちや、ときには兄弟たちでさえ、かれを、《司祭》というあだなで呼ぶようになった。からかってそう呼ぶこともあれば、かれ自身を義務に目覚めさせようとしてそう呼ぶこともあった。
 この事件はかれに影響を与え、それ以来というものは勉学、信心、思考、態度、さらにはリクリエーションさえも、その方向に向けられていった。
 家庭でもこれをまじめにとりあげ、その目的をめざして、かれの将来にかかわることを準備するようになった。
 あの日以来、あらゆることはこの決意を固めていくのに役立った。これは常日ごろ特別に見守ってくれた母の祈りと、教え子の中から、だれかが司祭になるようにと主に願い続けていた、たいそう敬けんな、あの女教師の祈りが実を結んだのだとかれは思っている。
 主任司祭は、豊かな霊性と知性と洞察力を兼ね備えた人物だったが、始終かれを助け、司祭になるまで導いてくれた。

彼らの長年の祈りがやっと実ったときでした。

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叙階式後、ヤコブは3カ月から4カ月間、新学期のはじまる10月に神学校に戻るまで、郷里にいました。  この間新司祭ヤコブは何をしていたのでしょうか。

深い愛情をもっていつも彼を見守ってきた主任司祭は、ヤコブが、教会で行われる典礼儀式と信心業に出席することを望み、さらに、できることは何でも彼に自分の代理を努めさせたのでした。

夏の間はどの教会でも、保護の聖人の祝いをしていたので、いろいろの教会から新司祭は、説教師として招かれたのでした。

この新しい司祭は、この招きを、積極的に受けたようです。彼は、「1907年8月、3つの主日に聖書の日を行い、カテケージスの方法をとり、教会の教えを適用しながら聖書を説明した。」と手記に書いています。

この「聖書の日」は、疑いもなく彼自身が提案した企画でした。


注釈:

*1 司祭叙階
  カトリック教会の七つの秘跡の一つで、司教、司祭、助祭の諸権能が授けられることです。この秘跡をうけることにより、任務を果たす恵みが与えられます。この秘跡は、霊に対する祈りと按手によって、列席している司教、司祭によってさずけられます。   前後に、手に聖油を塗ること、カリス(杯)とパテナ(金の皿)を渡すこと、司教とともにはじめて聖体祭儀(ミサ)を司式するなどの、意義深い儀式が行われます。   この秘跡は、永久に祝聖(叙階)されるものです。 
*2 祝福
  新しく司祭叙階を受けた司祭から、人々は祝福をいただきます。司祭叙階により、司祭のこの手は祝福を与えるようにとの祈願で、「祝福するもの」となります。
  この祝福の力は個人的に与えられるものではなく、教会の祝福の力を表現するものです。   ですから、新司祭からの祝福は、「最初の」という意味で、特別の祝福として受けとめられています。  

1--3 ヤコボ・アルベリオーネ司祭へ


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