home > 女子パウロ会とは > 新世紀ルーツへの巡礼 >  10)創立者たちの最後の奉献 への招き>6) 1969年:特別総会の年(聖パウロ女子修道会)

新世紀ルーツへの巡礼

目次

アルベリオーネ神父の晩年

6) 1969年:特別総会の年(聖パウロ女子修道会)

創立者 生家の周りの景色

バチカン公会議の後、教皇の自発勅令「エクレジエ・サンクテ」という文書が全修道会に宛てて出されました。その目的は、第2バチカン公会議文書「修道生活の刷新・適応に関する教令」を実現するためのものです。各修道会は新しい精神を浸透させ、そこから生活や規律についての刷新・適応を実現すべきことを指導しています。そのための方法は、各修道会の現状から「通常」、または「特別(臨時)総会」が2年以内に開かれる必要があり、2期に区分されること、そのための準備として会員からできるだけ自由な意見をきくための方法、たとえば委員会を作り、アンケートをとるなどの方法をとることを勧めています。また、この総会は試みとしての会憲のある規則を変更する権限が与えられています。

この総会の中で、会憲を修道会の精神と会固有の精神に照らして見直し、必要なら刷新・適応する必要を具体的に指導しています。各修道会はその指導に従い総会の準備をはじめました。

アルベリオーネ神父は、「パウロ家族修道会は生まれたばかりで、会員も、精神も、使徒職も成長の途上にあります。
多くの男女修道会は幾世紀か前に生まれました。多くの世紀を経ている修道会もあります。彼らは、刷新の必要をもっと感じているでしょう。しかし、私たちも公会議の精神に従って見直す必要があります」と述べています。

創立者は、またこの刷新のための作業に関し、1)祈り、2)会憲のテキストの検討、3)共同体の集まり、4)地区の集まり、5)意見を要約して中央に送るという5つのプロセスを提示しています。また、創立者は、「会憲を再読し、考察し、反省し、改善したらよいと思う点や追加したらよい点、または取り消したほうがよいと思う点を書きます」と書いています。この時、創立者は1953年のいわばまだできたばかりの会憲が全面的に書き換えられるとはこの時に想像もしていなかったに違いありません。

聖パウロ女子修道会も教会のこの指導に従い、1968年1月15日、全会員に意見聴取のための質問表が配布されました。会憲のテキストを79の質問を通して検討します。7月には総会準備委員会が設置され、同時に莫大なアンケートに回答することにより、全メンバーが総会に参加、協力するようにとの回状も出されました。

総長シスターイグナチアは、「この目的を果たすためには、どのような困難に出会っても恐れません。(修道会の経済的な条件が悪いのにもかかわらず)この仕事に必要な特別出費も恐れません。正しくまた適当な刷新をはかるために必要かつ適切な「変更」をすることも恐れません。また、同様に私たちの精神への愛深い知的で充全的な忠実を守るために、また保存しなければならないよい習慣の原則にとどまるためにどのような努力をはらうことをも恐れません。この精神なくしては総会の成功はありません」と書いています。
ここにシスターテクラの後継者である彼女の教会、修道会への忠実、決意が表れたと言えるでしょう。この歩みは実に多くの困難がもたらされますが、彼女の決意は確固たるもので、総長としてのリーダーシップを果たしていきます。

総会の委員会は、全会員から送られたアンケートの答えを読み、会憲の刷新のため資料を作り総会に提出する任務があります。会員たちは、会憲のテキストに簡単な変更を加えるという委員会の要請をはるかに超えて、諸地域の状況、世界の状況を取り上げ、必要とされている具体的な答えを求めていました。

シスターイグナチアは1967年8月20日パウロ家族の創立記念日の回状の中で、「み心なら、1969年の春特別総会が開かれますので、それに備えましょう。この総会は非常に大切ですから、よい準備がなければなりません。特に霊的な準備がいります」と言っています。

総会は、第1会期(1969年9月22日~1970年1月6日)が開かれ、この間5つの文書の草案を作り、研究の資料としてすべての会員に提供しました。

第2会期は、翌71年9月11日~12月20日に開かれました。総会は、会憲を改訂する前に、より広範囲で慎重な検討が必要であり、公会議とカリスマの源泉をより深め吸収することが必要であると感じました。そこで、修道会のアイデンティティについて、公会議の光に照合しながら5つの文書を準備し、会憲は、その規則的な側面を試験的に書き直したものを出しました。
上記は『特別総会教令』と呼ばれ、修道会の全生活が描かれているものです。この文書は研究と祈りの結果であり、創立者の考えや聖パウロ女子修道会会員のいだいている望み、修道会の刷新を実現したいとの切実な望みが反映されているものです。この文書は基本原理が描かれ、その後の歩みの基本文書となっていきます。

この総会は、任期を終了した総長の選挙もありました。11月26日朝、シスターイグナチア・バッラが総長に再選されました。この選挙の後、彼女は創立者の臨終の床に駆けつけたのでした。あたかも創立者がこの歩みを導いているかのように会員は感じていたのでした。

総長とともに新しく選ばれた総統治メンバーは日本、カナダ、ブラジル、英国、イタリア、フランスからと国際色ゆたかな地域から選出されました。

この総会で作成された試みの会憲は、会員に読まれることが少なく、次期の総会で新会憲を作成できず、修道会は教会の許可を求め、会憲作成期を延長し、会憲が総会で決定され、修道者聖省に提出できるまでには創立者の死後13年後の1984年までも時間がかかったのでした。

◆10-4 アルベリオーネ神父の晩年


▲ページのトップへ