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第5回 神はご自分の「いつくしみ深い計画」を啓示される


今回から、「第2章 人間を訪れる神」に入ります。ここでは、神の啓示について、聖書について、聖伝についてなど、ご一緒に読んでまいりましょう。


第1部 第2章 人間を訪れる神


今まで私たちは、自然界を見ることによって、理性によって、神の存在を知ることができるということについて見てきました。しかし、私たちが知性を尽くして神を知ったとしても、その神認識には限界があります。そのような私たち人間に、神はご自分を開き示してくださいました。これを「神の啓示」と言います。神は、私たち人間に、最愛のひとり子・イエス・キリストと聖霊を遣わすことによって、神がどんなに人間を愛しておられるか、そして、神がどんな方なのかを教えてくださいます。


第1項 神の啓示


1. 神はご自分の「いつくしみ深い計画」を啓示される

人間である私たちが、ただ単に神を知的に知るというだけではなく、神のいのちにあずかり、神のいのちに生き、神と一致するために、神はご自分を啓示してくださいました。神はまったく自由に、ご自分の造られた人間を愛され、イエス・キリストと聖霊によって、ご自分のいのちに招き入れ、私たちを、神のひとり子であるイエス・キリストの兄弟、友としてしてくださるという「いつくしみ深いご計画」を示してくださったのです。しかし、人間は、自分の力だけで、この目標に達することはできません。神のほうから、人間である私たちに自由に働きかけ、ご自分のいのちの交わりへと招き入れられるのです。

啓示に関して『カトリック教会の教え』は、「ですから、啓示は、超自然の出来事であり、恵みの出来事……みことばの出来事であるともいわれます」(16ページ)と指摘しています。本当に啓示のことを考えると「超自然の出来事・恵みの出来事・みことばの出来事」だということに思い当たります。

この神のご計画は、人間に一挙に示されたものではなく、徐々に示されました。「神の啓示」に関して、「神の教育法」という言葉が使われることがあります。これは、神が人間に、ご自分を徐々に伝え、私たち人間が示された神の知識を、段階的に受け入れるようにされたということを表しています。

啓示は、神が人間である私たちに示されるのですから、人間に伝えられるかたちで示されます。ですから、神は、この世界に起こる自然的、あるいは社会的出来事を通して私たちに働きかけられ、人間の言葉がこれらの出来事を説明するのです。ですから、啓示は「わざとことば」によって、つまり、私たちの「歴史の出来事」としての形をとり、私たちに示されるのです。この神の「啓示の頂点は、人となられたみことばであるイエス・キリストそのものと、その派遣です」(53項)。キリストは、神のわざとことばが一致した方としてこの世に来られました。ですから、キリストは「神のことば」と言われるのです。


2. 啓示の諸段階

啓示は徐々に示されたということをお話しましたが、では、どのように徐々に示されたのかを順を追って見ていきたいと思います。

この啓示の諸段階を見ていくことは、結局、「救いの歴史」を簡単に眺めることにもなります。この「救いの歴史」は、「救済史」とも言いますが、これは、歴史の導き手を人間ではなく、神として見る見方です。この歴史観によって人類史を見るとき、はじめて歴史全体を見通すことができるのです。さきほど、神はこの世の出来事を通して具体的に働かれると言いました。その救いの歴史を神はご自分が選ばれた民・イスラエルの歴史の中に示されたのです。

神は、みことばによって天地創造をなさった時から、ご自分を人間に示し、永遠の幸せに招いておられました。そして、神と人間は親しい交わりを保っていました。この啓示は、人類の祖先が神に背いたのちも、途絶えることはありませんでした。ミサの第4奉献文の中に、次のような美しい祈りがあります。皆さんも、ミサに参加なさって、司祭が唱えるこの祈りに心を留められたことがあると思います。

「人があなたに背いて親しい交わりを失ってからも、死の国に見捨てることなく、……たびたび人と契約を結ばれました」。


ノアとの契約

人間の罪ののち、人間は堕落し、ますます神に逆らうものになっていきました。神と共に歩いている正しい人・ノアに目をとめられ、ノアの家族を洪水から救われました。大洪水ののち、神はノアと契約を結ばれました。この契約は、「それぞれの地に、その言語、氏族、民族に従って」(創世記10.5)まとめられた人々への神の救いのご計画でした。

しかし、人間はまたもや神を忘れてしまいました。「バベルの塔」の話に象徴されているように、自分たちの力だけで「塔」を建てる、つまり、一致しようと図ったのです。その罪の結果は、聖書にあるように人類はますます偶像崇拝に陥り、神の救いの計画は、しばしば危険にさらされたのでした。

神はノアとの契約をとおして、人類を、各民族ごとに救おうとなさいました。この「ノアとの契約」は、キリストが散らされているすべての人々を一つに集めるまで続くのです。

神の救いの計画の奥深さ、すばらしさの一端を感じ取っていただけたでしょうか。次回は救いの歴史の続き、アブラハムからはじめましょう。

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