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第51回 聖徒の交わり


ときどき、「ミサのたびごとに、『使徒信条』を唱えていますが、その中で、『聖徒の交わり』という言葉がありますね。あの意味って何ですか?」と聞かれることがあります。 あるいは皆さま方の中にも、同じ疑問をもっておられる方がいらっしゃるかもしれませんね。今回は、その「聖徒の交わり」についてお話しいたしましょう。


第5節 聖徒の交わり


以前、「聖なる普遍の教会」という使徒信条の宣言についてお話しいたしましたが、「聖徒の交わり」ということも、「聖なる普遍の教会」ということを、繰り返して説明することになるのかもしれません。

「聖徒の交わり」という言葉には、「聖なるものの分かち合い」と「聖なる人々との交わり」という2つの意味合いがある言葉です。今、この2つの意味について、ご説明したいと思います。


1. 霊的善の分かち合い

初代教会の有様について、福音記者ルカは、『使徒言行録』の中で、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心」だったと美しい描写をしています。


信仰の分かち合い

私たちの信仰は、使徒たちから受け継がれてきた信仰を生きています。 この信仰を、洗礼の時、教会から受け、それを分かち合いながら充実していくべき命の宝です。


秘跡の分かち合い

すべての秘跡のもたらす実りは、すべての信者のものです。秘跡の分かち合いは、「聖徒の交わり」の観点からとらえるように、勧められています。各秘跡について、「分かち合い」という言葉が当てはまりますが、とくに、ミサ・感謝の祭儀において、また聖体の秘跡において、この「分かち合い」という言葉が当てはまります。そして、この「分かち合い」は、私たちを神と一致させるものなのです。


カリスマの分かち合い

聖霊は、教会の構成員である私たち一人一人に、聖霊の恵みを与えてくださっています。この聖霊の恵みは、カリスマと呼ばれますが、私たち一人一人が違うように、この恵みも異なっています。このカリスマは、教会の善となるものとして与えられているものですから、自分個人のものとしてもつのではなく、分かち合ってはじめて生きるものです。キリスト者は、主の財産の管理者なのです。


愛の分かち合い

「聖徒の交わり」とは、キリストを頭とするすべての肢体である信者の交わりです。ですから、一人が苦しめば、すべての人が苦しみ、一人が喜べば、すべてで喜びがあるのです。愛は自分の利益を求めることはありません。愛によって行われる、どんなささいな行いも、すべての人の益となるのです。


2. 天上の教会と地上の教会との交わり

教会の3つの状態

今、私たちは、この世において神の道を辿りながら旅を続けていますが、教会というとき、今生きているわたしたちだけを指しているのではありません。すでに、この世の生を終え、清めを受けている人々もいます。さらに、この世の生活を終え、神のみもとで主を賛美している人々もいます。この3つの状態にある教会は、キリストの霊によって一致しており、霊的な善を交換しているのです。


聖人たちの執り成し

神のみもとにいる聖人たちは、神と人との唯一の仲介者イエス・キリストをとおして、この地上の旅を続けている私たちのために、執り成しをしてくださっています。こうして、私たちは自分でも気づかないうちに、聖人たちの執り成しによって、助けられているのです。


聖人たちとの交わり

聖人たちは、私たちの模範としてだけ存在しているのではありません。諸聖人との交わりによって、私たちをキリストにより近くから従っていくようにと、キリストとより強く結び合わされるのです。


死者との交わり

亡くなられた方々も、イエス・キリストの神秘体に属する人々です。教会は、その最初の時代から、死者の記念を行い、死者に尊敬を払っていました。そして、亡くなられた方にもし罪が残っていたとするならば、彼らがその罪から解かれるように、祈ってきました。このような死者のための私たちの祈りは、死者を助けることになるのです。


神の唯一の家族の中で

キリストの唯一の家族を構成している神のみもとにすでに召されている人々と私たちは、以上述べたような相互の愛の交わりと、三位一体への賛美によって互いに交わることによって、教会の使命に生きるています。

最後に、「要約」が付けられています。ぜひ、ご一読ください。

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