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第52回 マリア


今回は、聖母マリアについての話です。日本は聖母マリアと深い関係があるとよく言われます。確かに、8月15日は聖母マリアの被昇天を記念しますが、この日は聖フランシスコ・ザビエルが日本に宣教のために来日した日でもあります。また、この日は終戦記念日に当たっています。


第6節 マリア---キリストの母、教会の母


教会の神秘の中で、マリアはどのような位置を占める方なのでしょうか。このことについて考えてみましょう。

私たちはマリアを、「おとめマリア」「神の母」など、いろいろな言葉で讃えています。マリアは、「キリストの母」であり、キリストを頭とするその肢体の母、つまり、神の民の母、「教会の母」でもあります。


1. 教会に対するマリアの母性

まったく御子と一体になって……

おとめマリアが、天使のお告げを受け、胎内にキリストを宿された瞬間から、十字架上でキリストが亡くなられるその瞬間にいたるまで、母マリアと御子キリストとはまったく堅く結ばれていました。教会に対するマリアの役割は、このキリストとの密接な結びつきによって生じているものです。

御子のご昇天の後、マリアは弟子たちと共に、聖霊の恵みを求めて祈っておられました。 この聖霊降臨の日が、教会の誕生の時です。教会設立の時に、使徒たちと共に、祈り待っておられたマリアは、その意味でも「教会の母」と言えるでしょう。


被昇天のときも……

神の恵みのはからいによって、原罪の汚れなくこの世に生を受けられた聖マリアは、その生涯を終えたとき、肉体、霊魂ともに、天の栄光にあげられ、そこで主から「すべてのものの女王」として高められました。マリアは天にあげられることによって、イエスの復活にあずかり、私たちキリストを信じる者の復活を先取りされたのです。


マリアは恵みの世界でわたしたちの母である---

私たちは、聖マリアを、恵みの「仲介者」、「弁護者」「扶助者」「援助者」と、マリアに呼びかけて、その取り次ぎを願います。それは、聖マリアが、恵みの世界で、私たちの母だからです。聖マリアは、お告げを受けられたその最初から、イエスの十字架のもとで、イエスの死を受け取られた最後まで、神のみ旨に忠実な方でした。

聖マリアは、その従順、信仰、希望、愛をもって、イエス・キリストの救いのみわざに、聖マリアならではの特別ななさり方で協力し、私たち人類が、神のいのちを生きることができるようにしてくださいました。聖マリアは、まったく特別な意味で、「教会が模範として仰ぐべき存在」であり「範型」なのです。


2. 聖マリアへの崇敬

「いつの世の人もわたしを幸いな者というでしょう」この言葉は、ルカ福音書に記されている「聖母マリアの賛歌」(マグニフィカト)の中の1節です(ルカ1.48)。教会は、聖マリアを特別な崇敬の心をもって、讃えています。時々、「あなた方カトリック信者は、マリア様を礼拝しているのでしょ?」と聞かれることがあります。この問いには、はっきりと「いいえ」とお答えしなければなりません。 私たちが聖マリアを崇敬することは、御父、聖霊、そしてみことばであるイエス・キリストにささげられる礼拝とは、本質的に違うことなのです。

聖マリアへの信心は、神への礼拝に奉仕するものです。聖マリアへの崇敬は、神の母にささげられた祝日や、ロザリオの祈りなどのマリアへの祈りに表されているものです。なお、ロザリオの祈りは、「福音書全体の要約」である、と言われています。


3. 教会の終末的な姿としてのマリア

マリアの姿の中に、私たちは教会の起源、教会の果たすべき使命などが、示されていますが、私たちの将来向かうべき終末の姿も、マリアの中に見ることができます。教会のメンバーであり、神の民である私たち一人ひとりは、三位一体の栄光となるように、そしてまた、すべての聖人との交わりの中に生きるように努めています。のような私たちを、実際に、天のみ国で待っていてくださるのは、教会の母であり、私たちの母であるマリアなのです。

ここでも最後に、短い「要約」が付いています。ぜひ、ご一読ください。

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