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第57回 「永遠のいのちを信じます」


今まで、キリスト教の信仰の神髄とも言うべき「使徒信条」を一区切りずつみてきました。今回は、いよいよその最後の言葉「アーメン」についてです。


「アーメン」


聖書の最後の書「ヨハネの黙示録」の最後の部分に次のような言葉があります。

以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。(黙示録22.20)

信条もこの「アーメン」という言葉で終わります。「アーメン」という言葉は、ヘブライ語で、語源的には、「信じる」という言葉から派生しています。この語源には、堅固さ、信頼性、忠実という意味を含んだ言葉です。ですから、私たちはこの「アーメン」という言葉を唱えることによって、私たちへの神の忠実と、神への私たちの信頼を表しているのです。

イエス・キリストは、しばしば、ご自分の話の中で、「アーメン」という言葉を使われました。それは、「アーメン」という言葉を使うことによって、ご自分の教えの信頼性、神の真実に基づいたご自分の権威を強調なさったのです。イエス・キリストご自身が、「アーメン」という言葉そのものです。

イエス・キリストは、私たちに対する御父の決定的な「アーメン」なのです。イエスは、どんな苦しいときも、常に、御父のみ旨に対して、「アーメン」とおっしゃり、そのみ旨を実行なさいました。私たちが神に対して、「アーメン」と応えなければならないその代わりに「アーメン」とご自分のご生涯、いのちで応えてくださったのです。

私たちが信じるということは、この「アーメン」である神の限りない愛、完全な忠実に、まったく信頼するということです。

信条の最後に、私たちが「アーメン」と言うのは、その最初に、「私は信じます」と言った言葉を追認しているのです。

聖パウロは、「神の約束は、ことごとくこのかたにおいて『然り』となりました。それで、わたしたちは神をたたえるため、このかたを通して『アーメン』と唱えます」と、コリントの教会の信徒に書いています(コリント2 1.20)。私たちが、祈る時、最後に「アーメン」と唱えるのは、このような深い意味があるのです。

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