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第66回 どのように挙行するのか –(2)


秘跡を授ける役割を負った人について見た後で、どのように秘跡祭儀を挙行するのかということの一部分––「しるしと象徴」の面について、前回は考えました。今回は、その続きをご一緒にみてみましょう。


2. どのように挙行するのか  続き

ことばと動作

秘跡としての祭儀は、神の民である「神の子たち」と御父と出会うことです。この出会いは、人間同士の出会いのときに用いられるように、「動作とことば」を使って行う対話の形で表現されます。この場合、象徴的動作自体が、すでに一つの言語と言えます。しかし、それだけではなく、神のことばと、そのことばに対する神の民の信仰に満ちた応えが、象徴的動作と結ばれて、神の豊かな恵みが与えられるのです。

このように、典礼の動作は、以下の3つのことを意味するものです。
 ①神のことばが表すことを意味する、
 ②神の恵みの働き、
 ③神の民の、信仰による応答

ことばの典礼…ことばの典礼は、秘跡祭儀の不可欠な要素です。私たちの信仰を育てるために、神のことばはなくてはならないものです。

ことばの典礼というとき、以下の内容が含まれます。
 ①神のことばが書かれた書(朗読聖書)
 ②朗読聖書に対する崇敬の行為(行列、献香、ロウソクの光)
 ③神のことばを告げ知らせる場所(朗読台)
 ④聞きやすくて、理解できるような朗読
 ⑤神のことばの告知を深める役務者の説教
 ⑥会衆の応答(応唱、答唱詩編、連願、信仰宣言)

典礼でのことばと動作は、聖霊の働きにより、恵みによって、私たちに信仰心を起こさせ、それを理解するようにさせてくださるだけではなく、告げられることばを実現してくださるのです。聖霊は、御子イエス・キリストによって実現された、御父のみわざを現在化し、私たちに共有させてくださるのです。

歌と音楽…キリスト教を信じていない人々も、典礼音楽として作曲された多くの音楽に心打たれ、そこからキリストを信じるようになった方もおられます。

歌と音楽は、旧約時代から典礼の重要な要素の1つでした。

歌と音楽は、典礼行為と結ばれることによって、しるしとしての役割をもつものになります。その際に、3つの基準を心がけることが大切です。
 ①祈りの表現豊かな美しさ
 ②定められた部分では、会衆が心を合わせて参加できること
 ③祭儀の荘厳さ

以上の点を守ことによって、神に栄光を帰し、それに参加する私たち信徒を聖化することができるのです。

典礼のしるしとしての歌や音楽やことばと動作が、それを行う人々の文化的な富に従って表現されるならば、実り多いものとなります。

第2バチカン公会議公文書の『典礼憲章』には、「聖歌に用いられる歌詞は、カトリックの教えに合致したものでなければなりません。さらに主として聖書と典礼の源泉からくみ取られるべきです」と書かれています。

聖画像…目に見えない神を描いたり、像に形づくったりすることはできないことでしたが、キリストが人となり、この世に下ってくださったことが、聖画像を用いるという新しい「道」を開いたのです。キリスト教の聖画像と神のことばは、相補い合って、その内容を私たちによりよくわからせるものです。典礼祭儀のしるしは、すべてキリストに関係しています。

神の母聖マリアや聖人の絵や像は、彼らによって栄光を受けられたキリストを表すものです。多くの聖人がたの聖画像を見るとき、私たちは「神にかたどって造られた人間」の姿、「御子の姿に似たもの」と変えられた人間の姿を見ることができるのです。まれるのを助けるのです。

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