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第151回 回心と社会


2 回心と社会

人間が神から与えられた使命を生きるために、社会は欠かすことのできないものです。

この使命-召命とも言いますが-を実現するためには、正しい価値基準を持ち、その序列を尊重しなければなりません。その正しい価値の序列とは、内面的・精神的次元のもとに、物質的・本能的次元を置く、ということです。

わたしたちは、手段と目的という言葉をよく使いますが、これを間違えてしまうと大変なことになります。手段にすぎないことを、究極目的と見なしたり、あるいは、個人を目的に達するための手段にすぎないと見なすことは、不正義の構造を生み出すことになってしまいます。このような、手段と目的を取り違える生き方は、神を第一・唯一の方とするキリスト教的生き方を困難にし、不可能にするものです。

ですから、個人に奉仕するような社会的変革を実現するためには、私たち個人個人が、自分たちの精神的・倫理的能力と、内的回心を絶え間なく、し続けていかなければならないのです。 内的回心のために、もっとも大切にすべきことは、罪を犯させるような制度や生活条件があれば、その改善に努めることです

神の恵みに助けられなければ、私たち人間は、神と隣人への愛の道を見いだすことも、歩むこともできません。
  愛は、もっとも重要な社会的なおきてです。
  愛は、他人とその権利を尊重します。
  愛は、正義を実践することを要求します。
  愛だけが、私たちにそれを実践する力を与えてくれるものです。
  愛は、自分を捧げる生き方を促します。

「自分のいのちを生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つ」と聖書に書いてあるとおりです(ルカ17.33)。

最後に短い要約がついています。どうぞ、この要約も読んでください。

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