homeキリシタンゆかりの地をたずねてゆかりの地一覧 > サンタ・クララ記念碑(サンタ・クララ教会跡)

キリシタンゆかりの地をたずねて

ゆかりの地

物語

長崎県 長崎市

サンタ・クララ記念碑(サンタ・クララ教会跡)


サンタ・クララ記念碑

キリシタン禁令の中、浦上のキリシタンたちが、1865(慶応元)年から3年間、密かに大浦天主堂の宣教師を迎えて、教えを受け、ミサにあずかり、洗礼を受けていました。秘密教会堂は、大浦から浦上を巡回する宣教師のために用意された隠れ家で、浦上街道筋に4つの秘密教会堂があり、大浦天主堂の巡回教会となっていました。

 サンタ・クララ堂はその秘密教会堂の1つで、ポルトガル船員らによって1603(慶長8)年に建てられました。

 イスパニア人の宣教師アル・ウァレス神父が司牧にあたっていました。1619(元和5)年に幕府よって教会が破壊されたあとも、「聖クララおとめの祝日」と「聖母の被昇天」に、盆踊りをよそおってこの教会跡で祈りをささげていたました。教会で働いていた孫右衛門は、初代惣頭の孫右衛門として、「帳方」「水方」「間役」という潜伏キリシタンの地下組織を作り、ここで250年に渡り信仰が守られました。

 現在は教会跡に、1965年3月17日(聖クララの祝日)、ローマ教皇パウロ六世の特使マレラ枢機卿により記念碑が建てられています。
 説明版には、下記の言葉が刻まれています。

  長崎市大橋町  旧 浦上村家野郷川上(よのこうごうかみ)

日本におけるキリスト信者発見百周年記念日の1965年(昭和40年)3月17日、ローマ教皇パウロ六世の特使マレラ枢機卿により、このサンタ・クララ教会記念碑は祝別された。
この地に1603年(慶長8年)に建てられたサンタ・クララ教会は、イスパニア人の宣教師アウファレス神父が司牧する浦上では、当時ただ一つの教会だった。
徳川幕府のキリシタン禁制によって、この教会が破壊されたあと、教会で働いていた孫右衛門は、神父を失った村人の間に、帳方(ちょうかた)・水方(みずかた)・聞役(ききやく)という“潜伏キリシタン”の地下組織をつくって信仰を固めた。
その後の250年、村人たちは、この教会の跡を祈りの場としていた。毎年夏になるとここに集まり、盆踊りをよそおって祈りをとなえたという。
司祭のいない迫害の時代に、信者の指導者が信仰を伝えるために献身し、信者発見後は、司祭・信者が一体となって働いた使徒職活動を記念すると共に、この教会の保護者だった聖女クララのご伝達を祈るために、このサンタ・クララ記念碑が建てられた。
                 カトリック浦上教会

4つの秘密教会堂


  • 住所:〒852-8134 長崎県長崎市大橋町1
  • アクセス:JR長崎駅前から路面電車(赤迫行)で大橋電停下車
         (国道206号線沿い、浦上川にかかる大橋のたもと)


●関連記事:


▲ページのトップへ