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台湾やフィリピンで宣教したシスター長濵明子が天国へ

2024.03.24


Sr.長濵明子

シスター マリア・チェレステ 長濵 明子は、3月20日 午後10時34分、肺炎のため、平塚十全病院で息を引き取り、御父のみもとに召されました。87歳でした。

シスター長濵は、1936年に熊本県で生まれ、カトリック人吉教会で幼児洗礼を受けました。ご自身の召命について、中学生ころの出来事を書いています。「わたしは、イエスの生涯を記した本を読み進めていた。イエスのガリレアでの宣教の箇所にさしかかったとき、ふと、その場面がページを離れて生き生きと映像化され、繰り広げられる美しい光景の中に自分が居合わせているのを発見していた。この神からの一瞬のインプットが、人生のターニングポイントとなった」と。こうして、20歳のときに福岡支部に入会されました。


Sr.長濵明子
葬儀ミサ


Sr.長濵明子
葬儀ミサ


修練期から有期誓願期の前半にかけては、仙台での家庭宣教に半年間従事し、その後中央出版社の編集部に勤務しています。1967年に終生誓願を宣立し、長崎の書院で働きましたが、翌1968年、宣教女として台湾に派遣されました。

1979年に台湾から帰国し、単行本編集部、宣伝広告部を経て、1986~1987年は、フィリピンのラジオ・ベリタスに勤務しました。帰国後、1988~1991年は、聖イグナチオ教会案内所、1992~1997年はカトリック宣教研究所に派遣されています。その後は、福岡書院、St. Paul KOBE、仙台での普及の使徒職を経て、2003~2006年は平塚の流通センターでミニメディアの仕入れ・倉庫を担当されました。2006年からは神戸と広島で書院の使徒職に携わっています。その後、2012年には再び大阪支部に戻ってSt.Paul KOBEに勤務していましたが、2014年ころから健康に大きな変化が現れました。

体中に痛みが出て、歩くことも着替えをすることも困難になり、急性の関節リウマチと診断されました。その後、リウマチに加えて、パーキンソン病、アルツハイマー型認知症などの症状が出て、2019年11月に、平塚十全病院に入院しました。

そのころは、体がこわばり、ベッドに横になっていることが多かったのですが、病院の方々の介護によって、絵を描いたり、文章を書いたりできるようになりました。2021年2月に、施設から会員に送られた手紙にこう書かれていました。「寒い日が続いていますが、お元気にお過ごしでいらっしゃいますか。おかげさまで、私も元気で過ごさせていただいております。元気で過ごさせていただいております。ただ神様にお支えいただいて、幸いに皆様のお祈りのお力に頼って、毎日を生きているだけかも知れません。どうぞお祈りの中にご記憶いただき、これからも弱い私をお支えくださいますよう、重ねてお願いいたします」。


Sr.長濵明子
葬儀ミサ


Sr.長濵明子
出棺前の花入れ


Sr.長濵明子
誓願50周年をお祝いしたときのシスター長濵(2011年)


シスター長濵は、入院期間の苦しみをささげつくし、今は御父のみもとで安らいでおられることでしょう。祈りの交わりの中で姉妹たちとつながっていたいと願われたシスター長濵の思いを大事に、これからもこの交わりのうちに、天国とこの地上で、福音のために働いていきたいと思います。

※ → シスター長濵の誓願50周年のときの女子パウロ会ニュース


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