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パウロ家族の集い……創立100周年に向けて

2011/10/12

10月10日(祝)、東京・四ッ谷の聖パウロ修道会若葉修道院で「パウロ家族の集い」が行われました。パウロ家族には10の会がありますが、日本にはそのうち、聖パウロ修道会、師イエズス修道女会、聖マリア・アンヌンチアータ会、聖パウロ女子修道会の4つの会があります。東京にある4つの会が一堂に集まり、感謝のミサをささげ、親睦を深めました。

聖堂
聖堂に入りきれない聖パウロ修道会会員は、
2階のギャラリーからミサに参加


ミサ
ミ サ


地下集会室
集会室でお弁当をいただき、その後お話を聞く


パウロ家族は今、2014年のパウロ家族創立100周年を迎えるための準備の期間を過ごしています。今回の「パウロ家族の集い」では、日本で、初期に入会した司祭、修道士、シスターから、当時のお話を聞きました。今回の集いの担当者である赤波江神父さまは、以下の項目で話してほしいとお願いしたそうです。

  ・宣教者・宣教女たちを派遣した創立者のアルベリオーネ神父、聖パウロ女子修道
   会初代総長シスターテクラ・メルロ、師イエズス修道女会の初代総長シスタース
   コラスチカが、どんな人だったか?
  ・最初に修道会に入った人たちのこと、神の招きの不思議
  ・戦前、戦中、戦後の様子

赤波江神父
司会の赤波江神父

最初のお話は、聖パウロ修道会の桑島神父さまです。日本にやってきた最初の聖パウロ修道会の司祭たちは、日本で働くための司教の許可もないまま、創立者から送り出されました。イタリアから日本にやってくる船の中で知り合った宣教師の招きをいただき、大森教会で家を借り働きました。日本語の勉強をしながら司牧のお手伝いをし、その後、三河島教会でも働くようになり、また王子教会でも司牧するようになりました。一年を経て、司教の滞在許可をいただくことができたそうです。

また、修道会の使徒職である印刷の仕事をしていいという司教さまの許可も、なかなかいただくことができませんでした。初期の一人、マルチェリーノ神父が体調を崩して聖母病院に入院していたときに、同じ入院患者として知り合ったパリミッションのコラール神父(ベルギー人)が本を出すので、そのために印刷をする、それをお手伝いするという名目で印刷を始めたそうです。

Dn.桑島 Dn.桑島
  スータンを身につけ、いつもすっきりとしてる桑島神父

桑島神父さまは、宣教師たちが語学の勉強をしているときに大森教会で彼らと出会いました。その後、王子教会で洗礼を受けました。お母さまは、聖パウロ修道会の司祭・ブラザーたちの食事のお世話をしていました。

戦中、イタリアが三国同盟から抜けたとき、イタリア人は敵国人になるのかと心配でした。警察と特攻が来て調べ、その後憲兵もやってきました。マルチェリーノ神父は警察に勾留され、困難な状況でした。1945年3月10日の東京大空襲がありました。5月の2回目の空襲で四ッ谷も焼かれ、修道会も消失しました。司祭・修道者たちは、方々へ分かれて過ごしたそうです。

最初の神学生は、萱場、島田、桑島の3人でした。「自分が望んだからではない。神が導いてくださった」と、つくづく感じているということです。

次は、聖パウロ女子修道会のシスター石野です。彼女は、6番目の入会者です。最初のシスター三武は天国にいます。その後の方々は修道会を後にしたそうです。

Sr.石野

1948年に最初に日本に来た宣教女は4人。イタリアから3人、アメリカから1人のシスターがやってきました。アメリカから来たシスターヴィンツェンツァはイタリア系アメリカ人で、アメリカンハイツに行っては、米軍から食料を集めていました。寄付をいただく彼女の働きによって、入会者の多かった当時の修道院の生活は、だいぶ助かったようです。シスターヴィンツェンツァは、「シスター御摂理(みせつり)」と呼ばれていたそうです。

4人の宣教女も志願者たちも、マルチェリーノ神父とパガニーニ神父にどれほど助けられたことでしょう。

最初の家は、阿佐ヶ谷の日本家屋でした。言葉の壁があって、会話はなかなか通じなかったのですが、心は通じるものがあったそうです。つらかったのは、シエスタ(お昼寝)があったこと。これはイタリアの習慣ですが、今まで昼寝の生活をしてこなかったので、大変だったそうです。「宣教したい!」と思って聖パウロ女子修道会に入りましたが、プロパガンダ(家庭宣教:書籍を持って、家庭を訪問して神さまのことをお話し、良書販売する宣教活動)は辛かったそうです。

3人目は、師イエズス修道女会のシスタースコラスチカ。シスター徳野のインタビューに答えるという形で当時の様子を話してくださいました。師イエズス修道女会の場合は、ちょっと違います。聖パウロ修道会の司祭たちが、志願者を集めていて、6人集まったときにイタリアからシスターたちが来たそうです。福岡市の小笹にある福岡修道院のカステロット神父とロレンツォ神父が、若い女性を集めていました。1950年ころのことです。シスタースコラスチカも、「新しい修道院ができたので、行かんね」と言われて小笹に来たそうです。

ブラザーを代表して、Br.中村も当時の小笹修道院の様子を話してくださいました。桑島神父は米寿を過ぎ、Br.中村も80歳を越えられましたが、元気に働いていらっしゃいます。

Sr.スコラスチカ Dn.桑島
楽しく初期の様子を語るBr.中村 インタビューをするSr.徳野と、答えるシスタースコラスチカ

最後に、まだ創立者が生きているころのローマにある聖パウロ修道会の様子を映し出している「志願者の一日」という映画を見ました。大勢の少年や神学生がいて活気に満ちています。少年たちも、神学生たちも、誓願を立てた修道士たちも、創立者アルベリオーネ神父を尊敬し慕っていることが、よく分かりました。わたしたちも、映像をとおして創立者に出会えて感激しました。

家族という形の修道会にいることの喜びを、あらためて感じた一日でした。


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