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調和と平和を愛したSr.落合邦子が天国へ

2016.11.11


Sr.落合

11月7日の夜、平塚修道院に所属しているSr.落合邦子が天国へ召されました。89歳で、誕生日を迎えると90歳になる直前のことでした。小柄なシスターでしたが、いつも穏やかでにこやかですが意志が強く、黙ってご自分のなさるべきことを果たしていて、調和と平和を愛したシスターでした。

Sr.落合は、1953年に福岡修道院に入会し、初期養成の時期から、聖パウロ修道会のパウロ・マルチェリーノ神父が創設したカトリックのラジオ放送局である文化放送で働きました。

1958年に初誓願を宣立し、1961年に、開設されたばかりの韓国に派遣されました。ソウルには、1960年12月に韓国最初の修道院が開かました。Sr.落合は、その3か月後に博多港を出発しました。玄界灘が荒れ、2回も引き返すような船旅をして釜山に着き、ソウルの修道院に着いたのは、日本を発ってから4日後のことでした。食べるものにも事欠くような貧しさのなかで、一生懸命働きました。

1968年に帰国した後は、高松修道院の院長、長崎や札幌のデパートのコーナーと書院の使徒職をし、1988年から10年以上にわたって東京修道院の受付で働きました。札幌修道院の後は2005年から平塚修道院に所属しました。

Sr.落合の天国への旅立ちへの準備は、3年前の2013年の腰椎圧迫骨折から始まったと言えます。骨粗しょう症が進んでいたようです。2014年からは、冬と夏の期間を施設で過ごすようになり、その後だんだんと体力が低下し、昨年11月、右の腎臓と尿管に腫瘍が見つかりました。手術を受けましたが、術後の経過は順調とは言えず、腎臓の機能低下のために苦しみ、また最後の数か月は、胸や背中の痛みにも苦しみました。

Sr.落合


Sr.落合はとても我慢強く、苦しみがあってもじっと絶えていました。しかし今、Sr.落合の生涯を眺めるとき、ご自分がこう生きたいと望んだ生き方を、苦しみのなかにあっても最後まで貫かれたことを強く感じます。Sr.落合は、「どのような事態になっても、神が今日わたしに望まれることを精いっぱい生きる」ことを大切にしていました。

「修道会のために心から祈り、神の恵みを願いたい」と、責任者に言っていました。「わたしは何もできないけれど、皆様のお祈りに支えられて毎日をささげます」。Sr.落合は、この生き方を、最期の苦しみのときにも全うしました。

Sr.落合が地上で蒔いた種が、神の助けによって芽を出すことができますように。そしてこれからは、調和と平和を愛したシスター落合が、わたしたちみなのために必要な恵みを取りついでくださるに違いありません。


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