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人びとを広く迎え入れたSr.進藤は、今、御父に迎えられ天国へ

2018.12.11


Sr.進藤

平塚修道院のSr.マリア・レオニア進藤ツネ子が、12月8日「無原罪の聖マリア」の祭日に、平塚共済病院で87歳の生涯を終え、御父のもとに帰りました。

Sr.進藤は、1954年、23歳で洗礼を受け、2年後のクリスマスに大阪で修道会に入会されました。洗礼のきっかけについて、Sr.進藤は次のように書いています。
「わたしは20歳のころ、人生の問題に突きあたって、その突破口となる何かを探し求めていた。そんな時、不思議にも今の自分の道につながる2つのことがあった。一つは街頭で外国人の宣教師が配っていた教会案内の1枚のチラシである。もう一つは、『級友からもらった』と言って弟がプレゼントしてくれた1枚のマリア様の絵で、まだキリスト教のことも知らなかったが、それを大切に持っていた。教会に通いはじめても、いつしか足は遠のいていたある晩、夢を見た。驚いたことに、流した5粒の涙の中にあのマリア様が映っていたのである。このことは非常に強い印象を心にしるした。そして洗礼に至ったその年は、はからずもマリア様の聖年であった」。
Sr.進藤が修道生活を始めるきっかけは、ご絵をとおしての聖母マリアへの思いでした。

その後、Sr.進藤は、生涯を神にささげる決意をし、修道会に入りました。創立者ヤコブ・アルベリオーネ神父は、「社会を悪に導く悪い出版物には、よい出版物をもって対抗するように」と言っていましたが、Sr.進藤は、ご自身が導かれたのは、まさに1枚の印刷物がきっかけであったことを思い、修道会が果たす、コミュニケーションの手段をとおして宣教する力を確信したと言っています。

Sr.進藤は、家庭訪問宣教、月刊誌「あけぼの」発送、中央出版社での編集、雑誌「家庭の友」、書院、受付など、いろいろな使徒職に携わりました。特に書院は、Sr.進藤にとって、人びとと出会い、コミュニケーションの手段をとおして宣教する主要な場となりました。仙台、名古屋、広島、東京・カテドラル案内所、大阪-園田修道院の各書院で働き、カテドラル案内所では9年、園田の書院では16年にわたって勤めました。ここが直接宣教最後の場となりました。

園田書院は2012年3月に閉鎖されましたが、そのころから徐々にSr.進藤の健康に問題が起こってきました。2014年には、病弱の姉妹たちを受け入れる平塚修道院に異動となりました。この異動は、シスター進藤にとって苦しいことでしたが、「今は永遠の扉を開くための清めの時、神の憐みの時と感じる」と言っていました。彼女は入院したときに、次のように言っていました。「看護師たちの、ほほえみと優しさをもっての行き届いた看護を受けるなかで、生活のために、この人たちはここまでできる。光と力をいただき、生涯を神に賭けたわたしは、こんなにしてはいられない、と気づかされ、残る命を修道会、共同体、全ての人々の救いのためにささげたいと思いました」と。そして、そのために食べること、筋肉をつけるために動くこと、リハビリをすることに努めいました。

Sr.進藤
通夜

Sr.進藤は聖母マリアに導かれて洗礼を受け、また聖母マリアのお祝い日に天国に帰って行かれました。Sr.進藤は、今、御父の大きな手に迎え入れられていることでしょう。

Sr.進藤の、誓願50周年のときの様子  


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