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ラテンなシスター米竹が天国へ

2020.07.08


Sr.米竹

6月27日夜、Sr.マリア・ベルティーラ米竹佳子が、入院先の越川病院で亡くなりました。87歳でした。6月26日に誕生日を迎えたばかりでした。

Sr.米竹は、1933年6月26日、宮城県で生まれました。Sr.米竹が初めてシスターと出会ったのは3歳のころ、お母さんに連れられて九州に行った時のことでした。黒の制服を着たイタリア人のシスターから抱き上げられたときの印象は強烈で、ずっと彼女の中に記憶され、自分がシスターになったのは、きっとそのときのシスターが祈っていてくれたからに違いないと思っていました。

Sr.米竹の実家は書店を経営し、その得意先にミッションスクールがありました。Sr.米竹のお父さんは、洗礼は受けてはいなかったものの、「教壇に立たない教師だ」と言って学校のために奉仕し、後で洗礼を受けられたときに、その学校のシスターが自分のために祈ってくれていたことを知りました。

お父さんは、Sr.米竹をミッションスクールに入学させました。そこで信仰教育を受け、洗礼の恵みをいただきました。

ある日、仙台の司教座聖堂のそばに新しい書店ができることを知った彼女は、「近くに自分の家の書店があるのに、新しい書店を開くなんてひどい!」と怒りました。しかし、それは、シスターたちが経営するお店で、宗教書を扱う書店だと教えられびっくりしたと言います。後に彼女は「書店に生まれたわたしが、神さまのために本を普及するようになったのは、自然の流れだったと思う」と語っています。

彼女の女子パウロ会との出会いは、一枚のパンフレットでした。当時、家庭訪問をしていたシスターたちは、どこの家にもパンフレットを残していき、特別なことではなかったのですが、彼女は、自分のためだけに特別にくれたと思ったのです。

ある日、家の掃除をしていたとき、なにか内から突き上げてくるようなものを感じ、すぐ修道院に駆けつけ「修道院に入りたいのです」と言ったそうです。そこで東京の修道院訪問を勧められ、乃木坂にある修道院を訪ねました。

乃木坂の修道院で彼女が見たのは、製本所で、ロザリオを大きな声で唱えながら、製本の機械を動かしているシスターたちの姿でした。すぐ修道院の入会を決めました。責任者が不在だったので、入会許可書は電報で送られてきました。彼女は両親に「学校の入学許可証」だと告げ、「聖パウロ学校女子部」に入ったのでした。ご両親は、乃木坂の修道院を訪問したとき、はじめて、娘が入学したのではなく、入会したのだということに気がつきました。

ユニークな考えと振る舞いをして、養成担当者を驚かせてばかりしたSr.米竹ですが、初誓願を立てる恵みをいただきました。初誓願後に派遣された使徒職は、学校や図書館など団体に働きかける団体宣教でした。当時は、まだ理解されず困難が多いときでしたが、持ち前の明るさで日本中を駆け巡り、「わたしはパウロの娘だから」と、乗り越えていきました。

1977年、総長は、「会員の不足している国を助けて欲しい」というメッセージを、全世界の修道院に向けて発信しました。Sr.米竹は、、同期のシスターがすでにペルーで働いていたので、自分も宣教に行きたいと総長に手紙を出しました。その後、総長が来日したときに、管区長の同意を得て、彼女のペルー行きが決まりました。

イタリアにしばらく滞在した後、心躍る中ペルーに出発しました。やっとリマに落ち着いたものの、それから数ヶ月は、涙の連続でした。食事のとき、みんなが楽しそうに話し合っているのに、彼女はその会話に入っていくことができなかったからです。祝日になると、歌ったり、踊ったりして、ストレスを解消していました。しかし、海に行ったときには、この太平洋の向こう側に日本があるんだなぁと思い、涙がこぼれてきたそうです。

ペルーは、12年間にわたってテロに悩まされ続け、宣教活動も困難をきわめ、人々もシスターたちも不安な日々を送っていました。そのような中でも、Sr.米竹はペルーの宣教女として活躍しました。2000年1月に、高齢のお母様の看病のために帰国し、日本に留まりました。

Sr.米竹
通 夜


Sr.米竹
葬儀ミサ


Sr.米竹


ラテン的な彼女は歌が大好きで、お祝い日などは余興としてミニワンマンショーをおこない、シスターたちを喜ばせました。また、教会での展示即売で本の紹介をするときなど、大きな声で「アメイジング・グレース」を歌って、信徒の方々に喜ばれ、強い印象を残こしました。

2019年に乳がんが見つかりましたが手術は行えず、本人の望みによって緩和ケアを選びホスピスで生活しました。少しずつ体力がおちていきましたが、従来の明るさとユーモアの中で過ごしていました。亡くなる数日前からは、お見舞いに行ったシスターたちに感謝、感謝の言葉でした。

今は天国で、大きな声で神さまへの賛美の歌をうたっていることでしょう。

Sr.米竹
2013年に誓願50周年を祝ったシスターたち Sr.米竹は前列左端


 → Sr.米竹の誓願宣立50周年のお祝いの様子はこちら

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