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デパートのコーナーで活躍したSr.堀井が天国へ

2021.04.28


Sr.堀井

4月26日の夜、湘南シルバーガーデンに入所していたシスタービアンカ・マリア堀井つる子が、肺炎のために入院していた湘南東部総合病院で、亡くなりました。93歳でした。

シスター堀井は、1928年1月10日、名古屋で生まれました。その後、ご家庭の事情でしょうか、岐阜県に引っ越し、神言会の多治見教会で受洗しました。1955年に名古屋支部に入会、1959年に初誓願、1964年に終生誓願を立てました。

修道誓願を立てた後、台所、サルトリア、聖本所などで働いていましたが、主な使徒職はデパートのコーナーでした。大阪 近鉄、名古屋 名鉄、横浜 高島屋、札幌 五番館などです。彼女はデパートの使徒職が自分にあっている、大好きだと話していました。デパートのコーナーで出会った人が、度々彼女を尋ねてきて、その方たちのいろいろな相談にのっていたということです。その中の幾人かは受洗に導かれ、ある人は修道院に入会したそうです。

仙台では訪問宣教のお手伝いもしていましたが、その後、平塚修道院に異動しました。平塚教会の売店の責任者として働き、求道者のグループのお世話をし、生き生きと人々と交わり、多くの方から「ビアンカさま」と親しまれていました。

使徒職に熱心で、思いやりがあり、人のお世話もよくしていましたので、多くの人から慕われていました。明るく奉仕的であったと、共に生活をしていた姉妹たちは言っています。支部にいた時に、自転車をチリンチリンと鳴らして教会や買い物に出かけていました。

10年くらいの間、個人指導による黙想会に毎年参加し、熱心に自分の生涯を振り返り、祈っていました。

平塚の市民講座でパソコンを学び、イラストを用いて年賀状などを書いていました。祝祭日には、パソコンで作ったカードをいただいたことも思い出されます。

晩年は、デイサービス、ショートステイなどを利用していましたが、12月29日夜、脳梗塞のため、平塚市の済生会病院に入院しました。退院したら修道院に戻りたいと言っていましたが、修道院での生活は困難になり、今年の1月12日、湘南シルバーガーデンに入所しました。

2月4日、38度の熱を出し、湘南東部総合病院に入院しました。肺炎と診断されましたが、少しずつ回復し、4月には退院して施設に戻る予定でおりました。しかし、再度高熱が出たため退院はかなわず、4月26日、肺炎のために再度高熱が出て、今後どのような治療を行っていったらいいかを病院と話し合っていましたが、急に悪化し、その日の夜、平塚の姉妹たちが夕食を取っていると、病院から「呼吸が止まった」と連絡が入り、急遽、Sr.堀井のもとに向かいました。死亡時刻は20時1分、死因は間質性肺炎でした。先生もあまりの急なことに、驚かれていたそうです。

Sr.堀井
葬儀ミサ


Sr.堀井
葬儀ミサ


いつも勉学心、チャレンジ精神のあったシスター堀井は、この新型コロナウイルスの時期に、わたしたちがどう宣教を行っていったらいいか、どう生き抜いていったらいいかともがき、悩む姿を、見守ってくれていると思います。



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