home>女子パウロ会とは?>女子パウロ会ニュース>Sr.モニカ上村が天国へ

女子パウロ会ニュース

バックナンバー

Sr.モニカ上村が天国へ

2022.09.01


Sr.上村

8月28日(日)11時55分、Sr.モニカ上村時子が、入所していた平塚富士白苑にて、老衰のため亡くなりました。88歳でした。

シスター上村は、1933年9月4日、鹿児島県南さつま市小湊で生まれました。義務教育の後、大阪で就職し、1951年のクリスマスに、カトリック岸和田教会(大阪教区)で洗礼を受けました。

シスター上村が聖パウロ女子修道会と知り合ったのは、岸和田教会の売店のためにシスターたちが訪問したときでした。そのときのことを、こう思い出しています

女子パウロ会のシスターが教会に来られ、若い人たちに召命の話をしてくださいました。それからも、シスターたちは一か月に一回くらい教会を訪問して、若い人たちはシスターたちと自由に話すことができたので、岸和田教会から女子パウロ会に5、6人入会しました。教会では J.O.C.(ジョック)に入っていたので、J.O.C.の活動でパンフレットを持って家庭訪問して、社会にどれだけ悪い本が出ているかなどを調べたこともありました。J.O.C.では、新聞も出していてそれを配る活動もしていました。

修道会への入会を考えるようになったころに、大阪教区の雑誌に「修道会の案内」が掲載されていました。その中には、女子パウロ会もありました。J.O.C.で活動していた関係で、本を通して宣教するということに惹かれました。阿倍野の修道院で黙想会があり、その黙想会で入会を決めました。

入会してからは、出張宣教や台所、図書室、デパートのコーナーでも働きましたが、家庭宣教が主な使徒職でした。製本の働きも家庭訪問も、J.O.C.のときの体験とつながっていて、宣教はわたしの召命を育ててくれました。

修道院に入るのには、両親の反対を押し切って、退職金を使って準備して入会した事情があり、受け入れてもらえませんでした。しかし、神父様が「召命は大切だから」と言われて父を訪問して、話してくださいました。神父様と父との出会いは不思議なもので、家族の態度は全く変わりました。神様のなさり方は、わたしたちの思いをはるかに超えていることと感動しました。神様にささげた家には、必ず祝福があると言われたのはほんとうだと実感しています。神様のなさり方は、ほんとうにすばらしいと思います。家に帰ったとき、母から「あなたが一番良かったね」と言われました。そのことが困難に出会ったときの助けとなりました。

誓願50周年に振り返ったときに、神様は自分を見守っていてくださると感じました。家が反対しているときに、もし諦めたらわたしの信仰はどうなっていたかとも感じます。創立者やシスターテクラ・メルロにもお会いしているので、その声の響きが今もいきいきと響いています。

シスター上村は、2008年に療養のために平塚に異動し、2018年から平塚富士白苑にお世話になっていました。コロナ禍で近年お会いすることもできませんでしたが、特別に調子が悪いというお知らせもありませんでした。しかし、近頃は食事もあまり取ることがなく、今日(28日)も職員の方が「上村さん、昼食はどうしますか」と尋ねると、Sr.上村は「ほしくない」と答えたそうです。職員の方は、なにか飲み物を取りに行き、戻ったときにはもう息を引き取っていたということです。わたしたちにとっては、急な死の知らせで驚きましたが、シスター上村はゆっくりと、88歳という人生をまっとうしたということでしょう。


Sr.上村
葬儀ミサ


Sr.上村
葬儀ミサ


シスター上村は長い間、長崎のカトリック中町教会で香部屋係のお手伝いをしていました。教会では、葬儀もたびたびあり、彼女は「いろいろな方の死を見ましたが、そのとき一人ひとりのいのちは神様の手の中にあるということを実感しました」と言っていました。このように語っていた彼女は今、神のみ手の中でいただいたいのちを感謝のうちにお返しし、いのちのすばらしさを味わっていることでしょう。


Sr.上村
出 棺



▲ページのトップへ