home > 女子パウロ会とは > 新世紀ルーツへの巡礼 > 1- アルベリオーネ神父とパウロ家族の創立への招き > ブラ

新世紀ルーツへの巡礼

目次

アルベリオーネ神父の生まれ育った環境

今回のルーツへの巡礼では、アルベリオーネ神父をはぐくみ育てた環境 ブラを、ご紹介しましょう。

ブラ

花の聖母の聖堂
花の聖母の聖堂

サン・ロレンツォ村は、ブラとフォッサーノとの県境にあります。ヤコブの両親はブラ出身ですが、1882年にサン・ロレンツォに引っ越していました。ブラは両親の故郷というわけです。

ヤコブは12歳から16歳まで、中学課程はブラの神学校ですごしています。

このブラには、有名な「花の聖母の聖堂」があります。

 花の聖母 

alt=
花の聖母マリア

「母は私たちが順々に生まれると、みな『花の女王』マリアにささげた」

ヤコブは幼いころに、たびたび信仰あつい母に連れられケラスコからこの聖堂に巡礼に行きました。大きくなってからは一人でこの聖堂に巡礼しました。アルベリオーネ神父は、このような思い出をつづっています。

「9歳のときでした。学校がら帰って、大喜びで母に『お母さん、ほら、及第しました!』と言いました。しかし、約束したことについては口にする勇気がありませんでした。じつは、花の聖母にローソクを一本ともす約束をしていたのでした。母は直感的に察して、叫ぶように言ったのです。『約束するのは慎重に。約束したからには寛大に果たしなさい。さあ、行きなさい。小さいローソクではだめですよ。』そう言って私に大きな硬貨をくれたのです。」

最初の会員たち
最初の会員たち

ヤコブは、後に司祭になって修道会を創立してからも、若い会員をともなってこの聖堂を訪問し、かれらを聖母にささげ、保護を願いました。

1916年5月に、アルベリオーネ神父は最初のグループを伴って巡礼し、この花の聖母にパウロ家族を奉献しました。そして、この聖堂の正面で、最初の記念写真を撮りました。少年たちの真ん中にいるのが、アルベリオーネ神父です。

 ブラの神学校へ 

ヤコブは、純朴で飾りけのない少年でした。少年ヤコブは、神に呼ばれているとの確信を持ち、この招きに従うことをおろそかにできないと、心に深く感じていました。

彼の父ミケーレは、主に経済的理由のために息子の決意に反対していました。多額の出費が予想される息子の司祭職への道を考えるとき、貧しい彼の家計ではまかなっていけないだろうと考えていたのです。

しかし、数年間、ヤコブの言動を見守ってきた主任司祭モンテルシノは、彼の司祭職への希望は、今までの彼の生活の当然の結果であると思っていました。彼は、少年の勤勉さ、いつもきちんとしたその態度、友だちとの親しい交わり、説教によく耳を傾け、よく祈っている姿を感心して見ていたのでした。主任司祭は、少年ヤコブの司祭志願に反対するのは、少なくとも不賢明なことであると判断していたのでした。

 ブラで勉強する 

ブラの神学校
     ブラの神学校

ブラの小神学校は、百年以上の歴史を持つ古い学校で、その年も、169名新入生を迎えています。父ミケーレも、息子ヤコブのために所定の願書を提出し、1896年10月25日に入学許可を得ました。父ミケーレは、ヤコブを連れてブラに行き、神学校の校長に出会い、息子がこれから学び、祈り、遊び、生活する場所を見てきたのです。

入学後、父ミケーレのもとには小神学校会計係から、定期的に月謝の請求書が送られてきました。20リラという額は、彼の家族にとって並大抵のものではなく、相当の犠牲を要求するものでした。

教会に関する知識が広がるにつれて、ヤコブは、宣教への夢、関心を持ちはじめ、思春期特有の情熱を傾けて、偉大な宣教師たちの伝記を数多く読んではそれに心を燃やしていたのでした。

ところが、4年たって、彼は神学校を出てしまいました。突然の中途退学の原因についてたしかなことはわかりませんが、不節制な読書と良くない友だちによるのではないかといわれています。そのことについて、後に彼自身が触れ、「ある種の本が及ぼす悪を私は知っている……私を救ってくださったのは聖母だった」と言っています。

このことは、将来彼がになう出版と社会的コミュニケーションの使徒職にとって、特別の意味をもつ神からの摂理的な試練だったといえます。

ヤコブの兄ジョバンニ・ルドビコは、ヤコブに「お前が本当に才能に恵まれていると思うなら勉強しに行きなさい。畑仕事のことは心配しなくともよい。お前がいなくともいいように、私がもっと働くから。」と言ってくれました。この兄の言葉は、彼にとって大きな励みになったのでした。

そして、最終的な決定は1900年の夏、主任司祭モンテルシノの助けによってもたらされたのでした。彼は自らアルバの神学校を訪れ、校長と話し、条件付きではあったのですが、入学の許可を取り付けてくれました。

アルバの神学校

後日、アルベリオーネ神父はこのことを思い出しながら、「彼は私を非常によく助け、司祭職にまで導いてくれた」と言っています。

こうして、6カ月間家で過ごした後、彼が神学校に戻ったのは、1900年10月でした。そして、今度はアルバの神学校でした。さらに、このときから叔父ヤコブからの経済的援助を受けるようになったのです。青年ヤコブにとっての再出発の時でした。

◆1--1 アルベリオーネ神父の生まれ育った環境


▲ページのトップへ