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新世紀ルーツへの巡礼

目次

教区認可修道会として

 2) プリモ・マエストロ

聖師イエス

●総長の任命に関しては、司教はアルベリオーネ神父をこの任に任命するのがよいと考えたようであり、その任命書の中で、彼に「プリモ・マエストロ(第1の先生という意味)」という称号を与えられました。

●聖パウロ会員はみな聖師イエスに従い、学ぶものとして「マエストロ」と呼ばれ、総長はプリモ・マエストロと呼ばれるとアルベリオーネ神父は考え、このタイトルは自分の後継者に受け継がれるものと考えていたようでしたが、実際には、彼個人を意味する固有の名として、いつまでも残ることになったのです。ですから、「プリモ・マエストロ」という愛称で、今も会員はアルベリオーネ神父を呼んでいます。

ラウレンティ枢機卿の要望にそって、新修道会を認可したレ司教は、その結果を修道者聖省に次のように報告しています。

本来ならばプリモ・マエストロは、会の立誓者から選ばれるはずですが、実際には、まだ立誓者が存在しないので、私がアルベリオーネ神父をこの任に任命し、その翌日、司教館で*1彼の3年間の単式誓願を私が受理しました。

 その後のことは、会憲に従って 彼が考えていくでしょう。
 次いで、規定に定められたとおりに 年の黙想を終え、その月に、すでに会員になっていた15人の司祭の3年の誓願を アルベリオーネ神父が受理し、4月4日には24人の神学生と5人の修道士の1年の誓願を受けています。

 3月に司祭たちが 3年の誓願を宣立して後、修道会の顧問会が生まれましたが、それは、次のような司祭たちによって構成されています。
  • トルクァート・アルマーニ神父(精神=霊性)
  • パウロ・マルチェリーノ神父(使徒職)
  • ピエトロ・ボッラーノ(勉学)
  • チェサレ・ロバルド(経営管理)
  • アルフレッド・マネラ(秘書)

 なお、私が受けた報告によりますと、信心業に対する愛、長上への従順、相互の愛徳、修道清貧の遵守など、修道院の中には十分に修道精神が支配しているように見えます。
 勉学も改善されました。また、主要な科目の教師には、学士号をとらせるという決意を固めているようです。その内容は、教会法 2人、神学 2人、社会学 2人、哲学 2人です。
 また彼らは、一般図書館と小教区図書室に本を補給していますが、その数は、2200に及んでいます。また、大衆向けの本を 書く著者の数も増えています。
 イタリア語に翻訳して注解を付けた福音書は、すでに数千部普及されており、これからもますます小教区で普及されることが予想されます。
 その上、500位の小教区報を印刷しており、このごろ新たに“La Domenica illustrata(ラ ドメニカ・イッルスラータ)”の出版もはじめています。
 また、子どもたちのために“Il Giornalino(イル・ジョルナリーノ)”と“L'Aspirante(ラスピランテ)”を印刷していますが、その総合的発行部数は 7万部に及んでいます。
 経営管理の面は、だいたい次のような状態です。
 この10年間に建築した大きな建物4棟と、町に隣接した土地数ヘクタール、それに相当数の印刷機類と その予備を所有しています。それらはだいたい 400万リレに相当すると思われます。
 その他に100万リレ前後の借金と貸し金があり、未払いになっている仕事や納品、それに加工されずに積まれている資材などが貸し金に入っており、借金はまだ支払っていない材料費です。
 ほとんどが若者たちからなる500人以上の会員の生活費や通常出費は、通常の入金でまかなわれています。
 なお最後になりましたが、この会の会則を今印刷しております。もしご覧になりたいとお思いでしたら 私までご一報ください。印刷がすみ次第、すぐに一部お送りしましょう。  以上、主な情報をお伝えしました。心から敬意を持って。

1927年3月3日
ヨセフ・フランチェスコ・レ

この報告に対して、ラウレンティ枢機卿から 5月14日付けで礼状が送られていますが、そこには、聖パウロ修道会が、「人々の益のためにますます繁栄することを望んでやまないこと、神の恵みの露にうるおされて、新しい修道会が、福音の中の小さな種のように、主の神秘の畑の中で、いつまでも実を結ぶことができるよう祈っています」と、書かれていました。

教区の認可をうけたことは、聖パウロ会員にとって大きな喜びでした。とりわけ、ジャッカルド神父の喜びはひとしおでした。ここに到達するまでに、彼はあちらこちらに足を運び、祈り続けてきたのですから。

ジャッカルド神父は、この認可を「修道会の会憲とその使命に、聖霊による封印がおされた」と感じていました。

ローマの修道院は、必ずしもアルベリオーネ神父の望みどおりには発展せず、基礎固めができたわけではありません。ジャッカルド神父には、アルベリオーネ神父のような事業的センスは欠けていたのです。

ジャッカルド神父と創立者
ジャッカルド神父と創立者

ローマに行った時、アルベリオーネ神父は ジャッカルド神父の告白をきき、その後では自分も、ジャッカルド神父の前にひざまずいて、ゆるしの秘跡を受けるのでした。

ジャッカルド神父の成功の秘訣は、物事を成し遂げていく事業センスというより、彼自身が備えている「祈り」と「やさしさ」でした。この彼の人となりが、ローザ神父、聖パウロの大修院長であったシュステル、コンベンツアーレ修道会 総長ペードレ・タバーニなど人々の支持や励ましを得たのです。

シュステル大修院長は、大修道院所有地を喜んで聖パウロ会に提供したほど、ジャッカルド神父を深く尊敬し、信頼していました。その地が現在のアレッサンドロ・セベーロ通りの土地であり、後にはそこに聖パウロ会と聖パウロ女子修道会の大きな建物と使徒の女王大聖堂が建立されたのです。


注釈:

*1 彼の3年間の単式誓願を私が受理しました
 この時、アルベリオーネ神父は、自分の修道名として「ヨセフ」という名を選んでいます。司教 ヨセフ・フランシスコ・レに対する敬意を表明するためであったようです。 

◆2--11 教区認可修道会として


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