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新世紀ルーツへの巡礼

目次

東洋へ

2) 日本へ

シード

旅立ちから1カ月後の12月8日 無原罪の聖母の祝日、2人はほとんど無一文で、一言の日本語もわからぬままに、未知の国の人びとに対する期待と不安の中、神戸港、そして翌9日には東京に到着しました。

上京してまず彼らのすべきことは、教区内にとどまる許可を得ることでしたが、東京教区のシャンボン大司教は、2人の来日について何も知らされておらず、許可をすぐには受けることは出来ませんでした。

この間、三河島教会の主任司祭でサレジオ会司祭ピアチェンツァ神父が、彼らに宿舎と適当な仕事を提供してくれました。そこに、彼らは1カ月ほど滞在し、その後、大森区(現在の太田区)に家を借り移り住みました。

大森教会では、主任司祭コルニエ神父のはからいで、家事を手伝ってくださる人と、イタリア語がわかる日本語の教師を見つけることができました。彼らはもっぱら日本語の習得に努めることになりました。

彼らのさし迫った問題は、経済面でした。日本だけでなく海外に派遣された会員は、アルベリオーネ神父からほとんどお金は与えられていません。創立者アルベリオーネ神父のやり方というのでしょうか、彼の摂理への信頼ということだったのでしょうか。彼らがイタリアから持参してきたお金は2人で500リラ、20日のほどのうちになくなってしまいました。といって、本国イタリアからの送金は望めませんし、彼らもそうしようとは考えませんでした。

修道会は、いつも「ベツレヘムから出発する」ことを、2人は経験で知っていましたし、彼らを支えたのは、創立当初から会員を支えてきた「契約の祈り」です。

明日からどうして生活しようか、と思案にくれている時、イタリア人の子弟にラテン語とイタリア語の語学教育をすることができました。これにより、いくらかの謝礼を得ることができたのです。同時に、2人は寄付や援助をも求めました。ベルテロ神父が、特にこの任にあたりました。

マルチェリーノ神父は、あまり日もたたない時に、胃潰瘍を患い、手術を受けねばなりませんでした。彼はこの苦しみを将来の日本の聖パウロ会のためにささげました。この時、彼らを慈父のように教え、導いてくれたのは、大森教会主任司祭であり、パリ外国宣教会のコルニエ神父でした。

1935年、シャンボン大司教は、マルチェリーノ神父とベルテル神父に、コルニエ神父のもとで宣教を見習う許可を与えました。2人の喜びは、たとえようもなく大きいものでした。

大司教は、翌年4月には、正式に東京教区内に居住することを許可しまた。同時に王子区(現在の北区)を小教区として担当するように命じました。

2人は宣教の拠点となる王子教会建設のための資金を集め、下十条駅に近いところに家を見つけ、そこを教会と住居のために使うことになりました。6月19日のみ心の祝日には、「天主公教会(カトリック教会を当時はこう呼んでいた)」の看板を掲げることができ、この日の祝いには、シャンボン大司教をはじめ、コルニエ神父やイタリア大使なども出席しました。

王子教会のはじめの信徒たち ロ
  王子教会のはじめの信徒たち

●こうして2人は、聖パウロ会本来の使徒活動に入ることになります。彼らは日本の生活を見聞するにしたがい、アルベリオーネ神父の心であり、彼らがイタリアを出国して以来抱き続けてきた出版による使徒職の必要性を、ますます実感していきました。マルチェリーノ神父にとって、大都会や大新聞社の存在は、使徒的情熱を燃やすもの以外のなにものでもありませんでした。

1936年に、2人は最初のイタリア語のリーフレット「日本における聖パウロ会」を作り、イタリアをはじめ各方面に送ったのです。そこにはこう書いています。「たえず、すみやかに、かつ広範囲に、福音の光を輝かすために、出版よりもすぐれた方法はないと考えています。なぜなら、世界のどの国にも、日本人ほどよく読む国民はないからです。」

1937年には日華事変がおこりましたが、これは彼らに大きな影響を及ぼすことはありませんでした。この年、1月にはインドに派遣されていたパガニーニ神父が来日しました。

1938年には、マルチェリーノ神父とベルテロ神父は、念願の印刷所が王子教会の敷地内に設けられ、そのために、1月には印刷技術の経験豊かなトラポリーニ修道士が派遣され、活動がはじまりました。

同年9月には、ボアノ神父、1939年9月にはキエザ神父が来日し、会員も6名となり、教会法上にも正式修道院となりました。

誠光社
        誠光社

王子教会の
王子教会の声

彼らは、この印刷所を「誠光社(せいこうしゃ)」と名づけ、小教区内の人びとを対象とした宣教用リーフレット「王子教会の声」を発行しました。また児童向きに、単行本「面白くてためになる話」、「名もなき島」、「ハンス物語」などを出版したのでした。これらの本の翻訳は主にパガニーニ神父があたり、彼を教会伝道師が援助、協力しました。

◆2--14 東洋へ


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