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新世紀ルーツへの巡礼

目次

師イエス・キリストの弟子

1)司祭の熱性に参与する修道士:“ディシェポリ(聖師の弟子)”

生まれた子どもが段階をおって成長していくように、聖パウロ家族も成長発展しながら、だんだんその姿を明確にしていきました。
1923年の末、聖パウロ会共同体の中には、アルベリオーネ神父を含めて10人の司祭がいました。彼らの多くは長い軍隊生活からの帰還兵であり、責任をになって行動するのに十分な準備を備え持っていました。

ディシェポリたち

創立者に協力する司祭の働きに助けられ、協力者の中には“ディシェポリ(弟子の複数形)”と呼ばれる志願者たちのグループもでき、一人の司祭の指導のもとにおかれていました。

志願者たちは定期的に集い、自分が入会した会と自分をもよく知ることにより、ふさわしい決定ができるよう準備していました。
 教会法上認可された修道会で、通常修練者と呼ばれる人は、この共同体では「マリアのしもべ」と呼ばれていました。

彼らは実質的には修道会に属するものとみなされ、それだけの責任感を持って生き、行動するように養成されていました。また、彼らは司祭の指導のもと、私的誓願を実践しながら誓願宣立のために準備していました。

“ディシェポリ”とは

この“ディシェポリ”とは、どのように生まれたのでしょうか。

アルベリオーネ神父は、ある年代に(1909~18年ごろ)、聖バジリオ、聖ベネディクト、アッシジの聖フランシスコ、聖ヨハネ・バプティスタ・ド・ラ・サールなどが創立した修道会と親しくなり、それらの会に、司祭職を志さない修道士の召命がたくさんいるのをみました。

修道士は、司祭ではないのですが、清貧、貞潔、従順の修道誓願を宣立し、司祭とともに生活と祈りと使徒職を果たしながら、一つの共同体を形成します。

アルベリオーネ神父は、他の修道会の修道士をみながら、そして、師イエスを深めるうちに、聖パウロ会の中にもこの修道士の存在の必要を感じはじめました。

 主は多くの寛大な人を世界中に置き、その人々をご自分のもとに呼び、完徳に招き、司祭職のかたわらに置かれます。その人々に門を開き、特別な聖性に導くという愛のわざをするのはだれでしょうか。

 それに加えて使徒職にも参加させないという法があるでしょうか。

 かつて多くの修道会が興され、修道司祭は救いの事業や司牧への道を見いだしたものです。
 今日、修道士たちに、司祭の熱誠に参与させないという法があるでしょうか。ほとんど司祭職までも与えてもいいのではないでしょうか

 ……司祭と修道士が同じ一つの使徒職に力を合わせ、天の国の冠をいっしょに準備するのです。
 これこそ“ディシェポリ(聖師の弟子)”の姿なのです。
 司祭は現代の手段を使って福音を述べるにあたり、一般社会の勤労者に依存しないでも、限りなくみ言葉を増やせます。
 司祭に結ばれた修道士の働きは司祭の活動を高め、喜ばしいものとし、それを増やすのです。
 神はたたえられ、福音は告げられ、人々には光がありますように。

アルベリオーネ神父は、神に自分をささげ、現代のメディアを使って行う使徒職に積極的で決定的な役割を果たしたいと望む多くの信徒に道を開き、司祭との深い一致のうちにそれを生きる、“ディシェポリ”と呼ばれる修道士の群れをつくります。

アルベリオーネ神父のビジョンは、「キリストのうちにいっさいを新たにし」、あらゆることの土台に福音を置くという熱い望みをもって、あのナザレの聖家族とパレスチナで聖師イエスに従った使徒たちの共同体をモデルに、構想を立てたのでした。

ですから、イエスの継続者であり、使徒の後継者である司祭のかたわらに、“ディシェポリ”という名で彼が呼んだ修道士たちがいるようにしました。
 彼らは聖ヨセフや、救いの喜びを告げ知らせるために送られた*172人などに倣う人々です。

こうして、司祭でない修道士も司祭の役務に参加します。
 けっして単なる仕事をひき受けるだけの協力ではなく、現代の使徒職の主役となるようなユニークな貢献をするのです。

アルベリオーネ神父は、「司祭と修道士は同じ使徒的使命を一緒に実現していくのですから、両者とも使徒という名をもつのは当然です」と言っています。

ここに彼が、司祭でない修道者の召命にしるした決定的な新しさが、はっきりと表れています。兄弟である司祭たちと、同じ使徒活動に献身する福音の働き手である彼らに、本来の姿をみたからです。

教会の歴史の中で、司祭にならず修道士のままでいた人々は数えきれないほどです(聖ベネディクトも、アシジの聖フランシスコもそうでした……)。彼らは、祈りといろいろな仕事に従事していました。

聖パウロ修道会の“ディシェポリ”も、かつての修道士のように、さまざまな多くの善に召されています。それに加えて、神が人間の進歩をとおして与えられたたまものであるコミュニケーション・メディアを、神に反して用いる人々の行う悪を、償う使徒職を、彼らは特に担っているのです。
 その使徒職を、積極的な形で行います。それこそ、社会的コミュニケーションの使徒職の実践です。


注釈:

*1 72人
「主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。…… 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。『主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。』」(ルカ 10章1.17節 ) 

◆2--9 師イエス・キリストの弟子


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