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新世紀ルーツへの巡礼

目次

3--1 聖パウロ女子修道会(聖パウロの娘たち)の創立

4) はじめての書院

書院第1号があった場所
書院第1号があった場所

新しくはじめられたこの小さな団体に対しても、非難の声がありました。印刷をしたり、製本をしたりすることが、どうして娘たちの使徒職になるのかということでした。

アルベリオーネ神父はこう言っています。

修道会には果たすべき大きな使命があります。
はじめに困難があるのは当然です。
はじめて修道女たちが印刷機を使うという話が出たときに、意味ありげに笑った人々がたくさんいました。それが悪いことだからではなく、新しいことだったからです。

多くの批判、非難にもアルベリオーネ神父はびくともしませんでした。彼の確信は、この寛大な娘たちに伝わり、彼女たちに自分たちが神の導かれる道にあるのだという確かさを、もたせることになりました。

アルベリオーネ神父は、「女性は歩きはじめている。これはすばらしいことだ。まことに神の賜物である」と言って彼女たちにかけた信頼こそ、彼女たちを支えたのです。アルベリオ-ネ神父にとって、女性は、使徒的使命において、男性とまったく同列にあり、社会的にきわめて広い影響力を持つ召命においても、また、この社会において、真理を普及するという使命においても、女性は男性と同列に立つものなのだと考えていました。

彼女たちは、聖コスマとダミアノ教会や町の他の教会の入口に小さなテーブルをおき、信心の本や典礼用品を販売していました。これは、はじめ司祭や他の敬虔(けいけん)な人たちの勧めによってはじめられたことです。


説教壇

聖コスマ・ダミアノ教会内部
聖コスマ・ダミアノ教会内部

この活動は、寒い冬にも行われていました。彼女たちにとって、この活動は、主任司祭が教会の説教壇、あるいは祭壇で、人々の魂にしているのと同じことを、自分たちは教会の入口でしていると信じていたので、手足や体にしみる寒さも、彼女たちの熱意を奮い立たせるための障害とはなりませんでした。

1916 年から1918年にかけて、ひとつの巡回図書館を開設しました。それは手間のいる仕事でしたが、わずかな書物で多くの人にメッセージが届くという利点がありました。また、最初に開いたあの小さな書院に代る新しい書院を、キエザ神父のお世話で、人通りの多いところに開設しました。その目的は、印刷学校から出版される書物、要理書、新聞などがより多くの人々に普及されるためでした。

人数も少しずつ増え、ゆとりが出てきた時、彼女たちは印刷学校で印刷されたものを製本するようになりました。会員が増えるに従い、彼女たちは未来の修道会の苗床であるとの意識を高めていきました。彼女たちは、修道生活をすでに送っていたのでした。

小さな家族の悲しみ

歩みはじめたアルベリオーネ神父の小さな家族は、喜びや悲しみが交互して起こりました。1918年7月27日、印刷学校の最初の少年たちの1人、マジョリーノ・ビゴルンゴを神は、ご自分のもとにお召しになりました。

また、8月25日には、聖コスマとダミアノ教会のカテキスタで、良い出版物の熱心な普及者であった21歳のエミリア・モリアが、その透明で貴重な地上の生活を閉じました。カノニコ・キエザは、彼女のカテケージスの使徒職の仲間だった娘たちの証言をもとにして、小伝を書きました。この中に初期の聖パウロの娘たちの名前もあります。

カノニコ・キエザとアルベリオーネ神父が、月の静修や年の黙想でカテキスタのグループにした黙想を、モリアが要約して書き留めていたノートは、今も保存されています。

その同じ年の10月22日に、もう1人を主はお召しになりました。それは、クレリアです。彼女は、アルベリオーネ神父が新しい使命のために、最初に呼びかけた娘の1人でした。

第一世界大戦の最後の年、すなわち1918年には、発祥地から名をとって「スペイン風邪」と呼ばれた死亡率の高い流感が猛威をふるい、全ヨーロッパからアメリカ合衆国にまで広がりました。死者は何十万にのぼり、かかった人の数は数百万といわれています。「スペイン風邪」は老若強弱の区別をせず倒し、容赦なく荒れ狂ったのです。

「女子作業所」の中で、「一番健康で快活そのものであった」クレリアに「スペイン風邪」がおそい、数日のうちに26歳の若い彼女の命は絶ち切られたのです。

彼女は印刷技術を熱心に習い、同じ情熱をこめて台所の仕事にもあたっていました。彼女の死は10月22日の夕方、仲間たちがロザリオの祈り、栄えの第五玄義を祈っていたときでした。ジャッカルド神学生は、クレリアが死の直前にアルベリオーネ神父に小声でいったことを伝えています。「もし主が私を生かしておいてくださるなら、私の力を全部良い出版のためにささげたいのです。台所の仕事をするだけでも、みなが働く場所の掃除をするだけでも、もったいないぐらいに思います。もし、死ぬのなら、良い出版のために私の命をささげます……。」と。

彼女は、この世の生活を閉じる前に、全く神のものであると感じることができるよう、誓願を更新し、10月22日、姉妹たちがベッドの周りにひざまづいてロザリオの祈り、栄えの第5玄義を唱えていたときに息を引きとりました。アルベリオーネ神父は、彼の使命の成功のために神に生命を捧げた人々の中に、クレリアの名前もあげています。

◆3--1 聖パウロ女子修道会(聖パウロの娘たち)の創立


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