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新世紀ルーツへの巡礼

目次

師イエズス修道女会 認可への道 1

4) あの時のこと:インタビューから

シスターマリア・ルチアーナ

シスターマリア・ルチアーナの証言インタビューの中から、師イエズス修道女会の「消滅」が発表された時のことをご紹介します。聞き手は女子パウロ会 シスターです。

聞き手:

シスターマリア・ルチアーナ、修道者聖省からの、師イエズス修道女会の「消滅」が発表された時の体験をお話しいただけますか?

シスター マリア・ルチアーナ:

あの日のことを、私は今もはっきりと覚えています。
1946年8月26日、ジャッカルド神父は、私たち修練女を呼んで、こう言われました。「私たちにとって、従順する以外に確かなことはありません。この時、一番大きな従順をするのはプリモ・マエストロ(アルベリオーネ神父)です。そして、一緒にプリマ・マエストラ(シスターテクラ・メルロ)も最初に従順するのです。

あなたたちは、栄光唱を3回唱えてください。なるべく早く教会が勧めることを受け入れてください。」

この時、シスターテクラ・メルロもアルバにいらっしゃいました。
私たちは修練でしたから、聖パウロ女子修道会の誓願を立てるということでしたが、ある人は、すでに誓願を立てていましたので、その人たちは聖パウロ女子修道会の会憲に従って誓願を生きるということでした。

その会憲には、師イエズス修道女会の生活についても書かれていましたが、聖パウロ女子修道会としての生き方が根本でした。

シスターテクラ・メルロは、私たちの意志を確かめるために、一人ひとりを呼ばれました。私たちは、師イエズス修道女会を深く愛していましたが、教会の決定を尊敬しました。

私たちには、師イエスの心があったのです。みな同じでした。
つまり、私が修道会に入った時、師イエズス修道女会の使命である昼・夜をとおして聖体礼拝をする、司祭の奉仕をする、教会の隠れた奉仕をするとことは、私たちの心の根本にあったことでした。それを、シスターテクラ・メルロにお話しました。

シスターテクラ・メルロは、「神があなたにお与えになった使命を 私たちが果たしていけますように、と祈ってください」と言われました。<

そして、「これからは、ローマの聖パウロ女子修道会の修練女と一緒に生活するための準備をしてください」とも言われました。

また、教会権威者からの面接もありました。私たちは礼拝の時に、ブルーの修道服を使用していましたが、これからは使わないように、ということでした。「すべては、聖パウロ女子修道会である」と言われました。

私たちは、準備して11月8日にアルバを出発し、9日朝にローマに着きました。長い旅でした。

ローマに着いた時、シスターナザレーナ(当時の聖パウロ女子修道会の修練長)が、私たちを迎えにきてくださいました。彼女はシスタールチア(いままでの師イエズス修道女会修練長)が、修練の時の修練長でもありました。シスタールチアも私たちと一緒にローマに来ました。シスタールチアとシスターナザレーナと二人が出会った時、二人は抱擁して涙があふれ出ていました。

私たち修練女は、この二人の姿を見て、たとえ同じ聖パウロ女子修道会の誓願を立てても、主から与えられた互いの使命を大切にしていく必要を、教えられました。

聖パウロ聖堂

駅から大きなトラックに乗って、それはおそらくアメリカ人が貸して下さったと思いますが、私たち20人は聖パウロ大聖堂に行きました。

そこには、ジャッカルド神父が聖パウロの墓の祭壇で、ミサをささげるために待っていてくださいました。

私たちは、みな、泣きながらミサにあずかりました。私たちは、アルバから大きなホスチア(ご聖体になるパン)を持ってきましたが、それを奉献し、いただきました。

ミサ後、再びトラックに乗って、シスターナザレーナと共に聖パウロ女子修道会の修練院のあるところに行きました。シスタールチアは、ジャッカルド神父と同じ車で、ビア・グロッタ・ペルフェッタに行きました。

聞き手:

修練と言えば、修道生活の入門の時、これから自分たちが生きることになる生活を体験する時ですが、師イエズス修道女会シスターたちは、自分たちによらない大きな体験をしたのです。この体験を生きたシスターたちは、どんな感じだったのでしょうか。

シスター マリア・ルチアーナ:

それは、何とも言えないという感じです。
すべてが分かりません。聖パウロ女子修道会のシスターたちも同じです。いろいろの見方があります。
喜んで迎えてくれた人もいます。私たちは姉妹で、互いに助け合いましょうと言ってくれる人。
あのころ、旅行のためのトランクもありませんでした。みな緑の袋に包んで、泣きながらあのローマの建物に入って、聖堂に行って泣いていましたら、ある人は、「泣かないで。ちょっとだけなのだから」と。その言い方に軽蔑を感じました。


聖パウロ女子修道会修練女は20人、私たち師イエズス修道女会修練女も20人。大きなグループでした。
しかし、私たちは師イエズス修道女会修練女と言ってはいけなかったのです。ですから、ローマの修練女(聖パウロ女子修道会の修練女)、アルバの修練女(師イエズス修道女会の修練女)と呼ばれ、すべてが一緒でした。大きな寝室で、こちらが聖パウロ女子修道会修練女、あちらが師イエズス修道女会修練女という具合でした。

その後、いろいろのことがありました。何人もの修練女が病気になり、そのうちの1人は病者の塗油を受けるほど重体となりましたが、幸い回復しました。このことで、ここは主のみ旨の場所ではないことが、はっきりわかりました。

ジャッカルド神父は、必要なら師イエズス修道女会のために、自分のいのちをささげますと、アンジェリコ神父に話しました。

ケマトスの花

聞き手:

「使命が果たされるように祈りなさい」と言われながらも、実質的には聖パウロ女子修道会に入れられ、師イエズス修道女会シスターとして生活ができないと言われたわけです。それでも、だれも修道会を辞めなかった……。
このような難しい状況でも、自分たちの召命に従っていった心は何だったのでしょうか。
何がシスターたちを、そのように促したのでしょうか。

シスター マリア・ルチアーナ:

シスターテクラ・メルロがアルバにいらっしゃる前に、教会の権威者の視察がありました。修練女と特に話したいということで、私たちは一つの部屋に集められました。シスタールチアもジャッカルド神父も一緒でした。

しかし、アンジェリコ神父は、修練女とだけに話したいので、二人に部屋から出てくださいと告げました。二人は出て、修練女だけになりました。

アンジェリコ神父は、こう言われたのです。
「あなたたちは、ずっと師イエズス修道女会シスターとして生活してきたのですが、あなたたちの修道会はもう存在しません。聖パウロ女子修道会のみです。師イエズス修道女会は死んだのです。」

それが告げられた一瞬、私たちは互いに話し合ったのではないのですが、みな椅子から立ち上がり、「いいえ。私たちはいつか復活します」と言いました。

彼は、とてもびっくりされました。そして、「神のみ旨なら、神がお望みなら」と、言われたのです。

すると、また、「神のみ旨です。神のお望みです」と私たち一同は答えました。このような言葉が、私たちの口から出たのです。これは、不思議なことでした。

はい、行きます」と言ったということではないのです。

今も私は、だれが言ったかということは、分かりません。でも、そうだったのです。今振り返って思うことは、神が師イエズス修道女会を望まれていたということだと思います。

聞き手:

これは、なにか分からない力、神の力が働いたということでしょうか。

シスター マリア・ルチアーナ:

そうです。私たちは、神がアブラハムに言われたこと、『神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる』(マタイ 3.9 参照)ということを信じていました。

神のみ旨ということを信じ、そう見ていたのです。教会の中に、私たち修道会の使命が大切である、必要であるということをアルベリオーネ神父や、ジャッカルド神父から教えられ、私たちも心からそれを信じていたのです。
そして、2月ごろから、希望のきざしが見えてきました。はじめから建て直すようなことですが。

◆4--2 師イエズス修道女会 認可への道 1


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