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新世紀ルーツへの巡礼

目次

4--3 師イエズス修道女会 認可への道 2

2) 師イエズス修道女会の教会法による創設

公式写真から

1947年4月3日その日は聖木曜日、くしくも司祭職、ご聖体の制定の日でした。アルバの聖パウロ大聖堂において、師イエズス修道女会は、アルバのルイジ・マリオ・グラッシ司教の教区法承認のもとに創設されました。アルベリオーネ神父が出席できなかったため、儀式は、司教の委任を受けてジャッカルド神父の司式によってとり行われました。

ジャッカルド神父は、式の中で次のように声高らかに読み上げました。

主の受難を記念する今日、聖師は、無限に計り知れない愛をもって、聖体と司祭職を制定されました。
この司祭的よき日に、同じ愛で、あなたたち(師イエズス修道女会)に法的に新しい独自の生活を与え、あなたたちが独自の条件に従って、愛をこめた祈りと使徒職を果たしつつ司祭職に協力するようお招きになりました。

この認可の時、この会の創立に協力したシスターマリア・スコラスチカは、アルベリオーネ神父から儀式に参列するためフランスのニースからアルバに呼び戻されました。
しかし、新しく認可された修道会の初代総長にはシスターマリア・ルチア・リッチが選ばれました。

総顧問会の任命文書に、創立者アルベリオーネ神父は次のように明記し署名しています。

教皇庁よりの巡察使アレキサンドリア・アンジェリコ神父より認められた権限と会憲の法規に従い、シスターマリア・スコラスチカは最初の前総長の地位を保ちます。

シスターマリア・スコラスチカは、師イエズス修道女会を育て、マエストラ(師)としていままで修道会を導きました。アルベリオーネ神父は、アレキサンドリア・アンジェリコ神父に師イエズス修道女会員がシスターマリア・スコラスチカに対して娘としての感謝、尊敬、敬意……をもち、彼女の教え、祈り、勧告……を必要とすることの望みを表明し、会員がこれからもそうすること許可してほしい旨を伝え、それが受け入れられました。

アルベリオーネ神父は、創立者としての深慮をもって、当時の修道会や教会の状況を直観し、教会法に則ってはっきりと述べることによりも、将来の善のために適切な処置をとったのでした。

このことが意味していることは、アルベリオーネ神父がシスターマリア・スコラスチカの法的地位を明確にし、後に続く人びとが、このことを認識するよう配慮したのです。

シスターマリア・スコラスチカは、新しい会憲のもと、新総長として任命されたシスターマリア・ルチア・リッチの前に跪き、接吻し、従う第一の人となりました。彼女のその姿勢は信仰にあふれた彼女の内的生活を映し出すものとして、多くの人の心を打ちました。こうして師イエズス修道女会は、新しい一歩を踏み出したのです。

1940年アルバにて

●式が執り行われたこの聖木曜日の21時、修練院の小聖堂では、ジャッカルド神父が志願者の中から31名の入修練のための式を司式しました。

●ジャッカルド神父は、「この聖なる木曜日、ご聖体と司祭職の誕生日に、かつてマリアからイエスを受け取った聖ヨセフのように、法的、霊的に、師イエズス修道女会を受け取る恵みを与えてくださったことを感謝します。師イエズス修道女会こそご聖体の修道女、司祭職に参与する修道女、典礼に奉仕する修道女として、あなたの愛から、あなたの愛のうちに誕生しました」と言っています。

式の終了の数日後、シスターマリア・スコラスチカは、シスターマリア・ビインチェンチーナ・フェアに伴なわれて再びフランスヘ出発しました。

シスターマリア・スコラスチカは、その後、パリ、スペインを経てアルバに戻り、母院の共同体で過ごしました。そこで彼女のもっている知恵と賢明さで新しい責任を負った会員を母の心をもって援助、支えたのでした。彼女の謙遜、単純さ、勤勉さ、穏やかさ、活発さをもった奉献の姿は多くの人の証しとなりました。

アルバ教区の承認を得た師イエズス修道女会は、他の教区でも聖パウロ女子修道会と共に存在していたわけですが、今は師イエズス修道女会として存在する許可が与えられ、公に固有の使命を果たすことができるようになりました。このことは、教皇庁直轄修道院への道を準備することになります。

◆4--3 師イエズス修道女会 認可への道 2


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