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パウロ年 一口メモ

パウロの生い立ち

私たちは、パウロのことを知りたいと思っても、人間パウロについては、パウロ自身が書いた手紙と、使徒言行録に書いてあることに、当時の生活、文化で知られていることを加味する程度のことしか、わかりません。

しかし、次のようなことは言えると思います。
パウロの誕生日はわかっていませんが、パウロが生まれたのは、キリキア州の都市であるタルソスです。

タルソスは、ローマの植民都市で、当時は交通の要所であり、非常に栄えた商業都市でした。東西、南北に通じる主要道路の交差地点であり、ギリシャ文化を誇っていたアテネやアレキサンドリアにも比肩する高いギリシャ文化の水準を持っていた都市でもありました。
ここで、パウロは、離散ユダヤ人の家庭に生まれました。

ですから、パウロは、ファリサイ派のユダヤ人として、8日目に割礼を受けたでしょうし、5歳になるとシナゴーグ(会堂)に行き、ヘブライ語のアルファベットを習い、聖書を読む練習をしたことでしょう。
そして、12歳になってから、律法を守る者としてバル・ミツバの儀式にあずかり、シナゴーグで正式メンバーとして認められ、安息日ごとにシナゴーグで祈ったことでしょう。

離散ユダヤ人たちは、ヘブライ語の聖書とギリシャ語の聖書を使っていたそうですから、パウロもどちらの言葉の聖書も読んだことだと思います。

その上、パウロの育ったタルソスという都市のことを考えれば、一歩家の外に出れば、ギリシャ哲学、詩、演劇、スポーツなどに触れたことでしょう。このようにして空気のように吸収したギリシャ文化は、後のパウロの宣教に大いに役だったはずです。

パウロは、後に天幕作りの仕事をしながら、宣教に励みました。このことから考えると、パウロのお父さんの仕事は、天幕作りを職業としていたことがわかります。というのは、ファリサイ派の人は、祭司とは異なり、職業を持つ市民でした。ですから、パウロも小さいときから、天幕作りをお父さんに習い、立派に天幕作りの職人として働くことができたのです。

パウロは生まれながらにローマ市民権を持っている、と言っていますから、お父さんもローマ市民権を持った人で、パウロが生まれたとき、お父さんは家族の責任者として、ローマ市民権を持っていることを宣言したことでしょう。

パウロに兄弟はいたのでしょうか。聖書を見る限りでは、結婚し、エルサレムに住んでいたお姉さんがいることがわかります。そのお姉さんには、パウロにとって甥にあたる男の子がいました。残念ながら、パウロの身内については、それ以上のことはわかりません。

しかし、キリストに捕らえられたパウロには、キリストにおける兄弟姉妹がたくさんおり、実の身内以上にパウロのことを心配したり、祈ったりしている人々が大勢いました。


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