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シスターテクラ・メルロ
第3回 重大な結果に至る一つの「はい」
聖ヨゼフ・コットレンゴの修道会に入会を断られた後に、アルベリオーネ神父との出会いがやってきました。
アルベリオーネ神父は、神学生の時から「神の栄光のため、新世紀の人々のために何かするよう神に招かれている」と感じていました。具体的には、神に自己を奉献する使徒たちの群れを作る必要があると感じていたのです。新しい使徒の群れは、全生涯を福音の普及とキリスト教の普及に献身し、その手段として良書を、そして将来は、科学の進歩が人類に提供するあらゆるコミュニケーション・メディアを用いるということです。アルベリオーネ神父は、祈り、研究し、司祭に叙階された後も、何年もの間準備の時を過ごしていました。そして未来の協力者となるいく人かの人を養成しはじめていました。
1914年8月20日。この日は聖パウロ修道会をはじめるために選ばれた日です。それは質素なはじまりでしが、神がお望みになる業であるとの確信していました。創立当初、聖パウロ会の名称は「小さな労働者印刷学校」でした。ここで、最初の先駆者たちは、初めの仕事として教理書を印刷しました。それから間もなく、アルベリオーネ神父が編集長を務め、アルバの教区新聞『ガゼッタ ダルバ』の印刷をはじめていました。その他、福音書、聖人伝、信心書、教養書などもを印刷していました。
しかし、アルベリオーネ神父は、男子部のかたわらに女子部を併設しなければならないと感じていました。つまり、聖パウロ会と同じ目的をもって働く女子修道会を起こすことを考えていたのです。実際、彼は、女性が家庭の母として果たす使命、および、社会や教会の中でよいパン種として果たす使命に深い確信を持っていました。そのために、『司祭の熱誠に参与する女性』を執筆し、出版しました。
テレサ・メルロ 若き日のアルベリオーネ神父
アルベリオーネ神父は、この新しい女子修道会の創立と指導をして、自分を助けることのできる若い女性を探していました。彼がテレサ・メルロという、カスタニートのすぐれた裁縫師のことを聞いたのはちょうどそのころだったのです。人々は、テレサのことを均衡のとれた娘で、善業に開かれていると同時に、祈りと霊的なことにも強く傾いている、と彼に伝えました。テオロゴ(神学者の意。アルベリオーネ神父は当時みんなからこう呼ばれていた)は、テレサを、み摂理が彼の事業の発展に備えてくれた「ふさわしい人」と考えました。また、彼女の健康は乏しいとも聞かされていました。しかし、彼はそのことについては心配しませんでした。主が彼女に、新しい使命への「招き」とともに、必要な恵みはすべてお与えになると確信していたからです。
アルベリオーネ神父を霊的指導者に迎えていたアルバの神学校に、テレサの兄コスタンツォがいました。休暇に入るまえ、アルベリオーネ神父は彼を呼んでこう言いました。「もしできたら、裁縫の上手な君の妹さんに働いてもらいたいのだが、数人の少女たちの仕事を指導するために。妹さんを私のところに来させるよう、お母さんに言ってください。」
母ヴィンチェンツァは、初めのうち息子の話を聞こうともしませんでしが、しばらくしてアルバまで自分自身が娘と同伴して行こうと決心しました。 アルベリオーネ神父とテレサとの最初の出会いはサン・ダミアノ教会で行われました。 母は聖堂に残り、娘を待っていました。
サン・ダミアノ教会 サン・ダミアノ教会の祭壇 教会内サクリスティアの十字架
機敏で単純なテレサは、テオロゴが待機しているサクリスティア(香部屋)に入って行きました。後に彼女はその時の様子を次のように語っています。「面会は短いものでした。アルベリオーネ神父は、『良書出版の使徒職に献身するため、神に自己を奉献したいと望む娘たちを探している。そういう使徒職によって大きな善を行うことができる。当初は少女たちのために開いたばかりの仕事場の世話をすることだが、しかしなるべく早く、印刷学校の少年や神学生がすでにしているように、少女たちも完全に良書出版に献身することになろう』とおっしゃいました」。
テレサはすっかり夢中になり、聖堂に戻ってから、アルベリオーネ神父の申し出を母に報告しました。母は心配そうに彼女にどのように返事したのですかと尋ねると、「『はい』と言いました」とテレサは答えたのです。この単純な、しかし毅然とした「はい」は、彼女の生涯を通して見られた特徴です。その2日後、1915年6月29日、テレサはカスタニートをあとにし、アルベリオーネ神父の必要に自分のすべてを備えるためアルバへと出発しました。