教会をたずねて
カトリック大籠教会(仙台教区)
聖堂前方 |
祭壇 |
祭壇正面 十字架 |
聖堂内 聖母子像 |
聖堂内 無原罪の聖母子像 |
オルガン |
壁に飾られた ロザリオの三奥義 |
壁に飾られた ロザリオの三奥義 |
壁に飾られた ロザリオの三奥義 |
十字架の道行き |
十字架の道行き |
窓 |
入口にかかげられた プレート |
聖堂入り口にある 案内板 |
庭の殉教遺跡 |
庭の聖母像 |
大柄沢キリシタン洞窟 |
大籠キリシタン殉教公園 |
歴史と聖堂内部
1952(昭和27)年に大籠の殉教者を顕彰するために、ベトレヘム外国宣教会のフロイエル神父の設計で建立され、ローマ教皇使節バチカン公使フルステンベルク大司教によって献堂祝別式が行われました。
江戸時代のはじめに、300人以上のキリシタンたちが、この地「大籠」で殉教しました。
聖堂の前には、次のような大籠のキリシタン史が書かれています。
言い伝えによると、永禄年間(1558~69年)に千松大八郎・小八郎兄弟がこの大籠の地に来て、鉄の精錬に従事しながら、キリスト教の伝道をしたと伝えられている。
この大籠を中心に狼河原(宮城県・米川・馬龍 本吉町)で恫屋8人衆の下、南蛮流製鉄で良質の鉄を増産したが、そこで多数の信徒が働いていた。
伊達正宗のキリシタン禁止は比較的柔軟であったが、元和6(1620)年禁令を出し弾圧に乗り出した。
フランシスコ・バラヤス(孫右衛門)神父は、この頃から潜入して布教し、信徒数は日に日に増加して隆盛を極め当時あった三つの寺が廃寺となり今日に至っている。
その一つ大聖寺(大松寺)跡からは室町時代の板碑(金箔含む)が大量に出土している。
正宗が没した後、島原の乱が起こるとバラヤス神父は捕縛され江戸で殉教した。
大籠では、寛永16(1639)年に地蔵の辻で84名、寛永17(1640)年地蔵の辻上の刑場で94名、その他合計300名以上の殉教があった。
周囲には多数の遺跡があり1967年には、千松地所で直径12センチ余りの貝に彫刻された「キリストの復活」の画のメダイが発見されている。
大籠教会の聖堂内には、欠畑美奈子氏作の聖母マリア像と十字架の道行、村田佳代子氏作のロザリオの三奥義があります。
また、教会の周辺には「大籠キリシタン殉教公園」、隣町の宮城県東和町米川には、キリシタン史跡「大柄沢キリシタン洞窟」、「三経塚」、「後藤寿庵の墓」などがあります。