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新世紀ルーツへの巡礼

目次

豊かな恵みの富

2)もうひとつの夢

聖堂ステンドグラス

1924年の初めころから、パウロ会員の脳裏にしっかりと刻みこまれているもうひとつの夢があります。残念ながら、この夢について、書かれた記録はひとつも残されていません。

そのころ、2つの定期刊行物“Il giornalino(イル・ジョルナリーノ) ”と、“L'Aspirante(ラスピランテ)” の発行を同時に開始しました。“イル・ジョルナリーノ”は、全く新しく創刊されたものであり、“ラスピランテ”は、ゼノ神父がはじめたばかりのものをゆずり受けたのです。

2つの定期刊行物の発刊を同時にはじめるなど、あまりにも無鉄砲なやり方だととがめる人たちがいました。これらは、パウロ会の歩みを思って好意からよせられた批判でした。アルベリオーネ神父は、小聖堂での説教の中でこう答えました。

「彼(アルベリオーネ神父)は、夢(正確には、夢だったと思うがと言われました)で聖師(キリスト)を見ました。聖師は、収穫間近にひかえた金色の麦畑の中を、彼の方に向かって歩んで来られました。彼の近くに来られた時、聖師は麦畑を指しながらおっしゃいました。『見なさい、しなければならないことはたくさんある』と」。

当時この話を聞いた会員は、この時のアルベリオーネ神父の話し方から見ると、2つの定期刊行物の発刊を最終的に決意させたのは、この夢であったと思うと言っています。

1922年の契約の祈り
1922年の契約の祈り

アルベリオーネ神父は、どのようにして主のみ心を見極めていたのでしょうか。
彼は、こう言っています。

《罪の痛悔(つうかい)》とは、私たちの罪、欠点、不足を不断に認めることである。
私たちの召命の中に神のものと私たちのものとを識別し、すべての誉れを神に帰し、軽べつを自分たちに帰すること。そこから《契約または成功の秘訣》という信仰の祈りが生まれてきた。
→ 神のものと私たちのものとを識別する

また、彼自身がどのように神から導かれてきたかについて、後に振り返っています。

摂理は、神の普通のなさり方に従って、強くかつやさしく(知恵の書 8.1) 働いた。
つまり、目的に従って幾多の道をととのえ、それらの道を目的に向けて集中させる。
照らすとともに必要な援助でつつみ、自分の時を平和のうちに待たせる。
いつも馬ぶねから事をはじめさせる。
その働き方はあまりにも自然だったので、容易に恵みと自然との区別をすることはできないほどだったが、確かなことは、双方ともに働いたということである。

他方、神が摂理のみ手を延べるよう、強いて試みる必要はない。
ただよく警戒し、その導きに身を任せ、さまざまな義務を遂行するとき、知性、意志、心、体力……を投入するように努力すれば充分である。

人はいつもあまたの不完全、欠点、誤り、不足や自分の行動についての疑いを持っているので、神のあわれみのみ手に全く身を委ねて、その導きに身を任せる必要がある。 けっして摂理のみ手を強いることがないように。

◆2--7 豊かな恵みの富


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