home > 女子パウロ会とは > 新世紀ルーツへの巡礼 >  10)創立者たちの最後の奉献 への招き創立者の死

新世紀ルーツへの巡礼

目次

創立者の死

6) いろいろの方の証言1

日本訪問の時の創立者
1963年来日の時:左からボアノ神父、チマッティ神父、
中央創立者、パガニーニ神父、アルベ神父

日本の宣教師であり、創立者が来日された時にはその旅の同伴をし、総会で総顧問に選出され、創立者の臨終の時には聖パウロ女子修道会の総会の同伴をしていたパガニーニ師はこう伝えています。

パウロの娘たちの総会に私が出席していた時でした。その時期に、私は総顧問でした。彼の最後の病気の時でしたが、彼がどれほど敬愛されていたかを、私はこの目で見ました。

彼女たちが新総統治メンバーの選挙をしていたところに、彼の臨終の知らせが届いたのです。全員、いっさいをおいて、祈りはじめ、シスターイグナチア・バッラは急遽ローマに向かいました。

私もすぐローマに戻り、教皇の訪問寸前に間に合いました。教皇は、彼の事務所と個室の貧しさに驚嘆されました。創立者の死後、聖パウロ女子修道会の総会は継続し、延期されていた選挙を再開し、願っていた結論に到達しました。その時私が感じたのは、パウロの娘たちみなが、彼の存命中以上に彼を近く感じていたということでした。

当時聖パウロ修道会日本管区長であったアルド・ヴァラルド神父は「父は私たちを残して逝った」と言っています。
追悼記念ミサでは次のように語っています。

修道会は悲しみにくれています。……父であり創立者であった人が死にました」。この簡単な言葉で、聖パウロ修道会の総長ザノーニ神父は、聖パウロ家族修道会の創立者アルベリオーネ神父の死を告げました。愛され尊敬されている父親が亡くなった時、どの家族でも体験するように、だれもうめつくせない空虚を感じるものですが、私たちの修道家族でもそうです。

アルベリオーネ神父はここ数年来、祈りかつ苦しみながら、どこかに出るわけでもなく、自分の部屋で生活していました。彼は会員たちの堅忍と聖化、パウロ家族修道会の使徒的働きのために祈り、苦しみを忍んでいました。彼を訪問するすべての人を笑顔で迎え、また言葉をかけ、勇気づけていました。彼を訪問した人たちはみな、時には満足して、ある時には涙をたたえて彼の部屋から出で行きました。

その創立者はもはやいないのです。その子らを待ち、祝福するために自分のいすに座っていた彼はもういないのです。私たちの愛していた父、彼は私たちを残して去って逝きました。しかし彼は私たちを見捨てたわけではないのです。

彼は両親をなくした会員たちに口ぐせのようにこう言っていました。「司祭や修道者のおとうさんやおかあさんは、天国に行きます」と。
ですから、私たちは多くの司祭と修道者と修道女の霊的父である彼が、天国に行ったにちがいないと考えることができます。
確かに彼も人間として、弱さと不完全さとを持っていたにはちがいありませんが、彼の全生涯にわたる苦しみと苦痛は、彼にとって確かに彼の魂の浄化に有益な手段であったと思います。はっきり聞きとれた彼の最後の言葉は、「私は死にます。天国……すべての人のために祈ります」ということでした。
彼は私たちを残して逝きましが、今なおその精神によって私たちの間に生きています。彼は自分が創立した修道会とその子らを見、そしてすべての人のために神のみもとで取り次いでくれています。

私たちの霊的父の貴重な思い出に対して私たちが払う最良の方法は、彼の教えと彼が私たちに残してくれた精神に忠実であることです。聖師キリストがすべての人にその決心に忠実である恵みを与えてくださるように。

◆10-5 創立者の死


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