home > 女子パウロ会とは > 新世紀ルーツへの巡礼 >  10)創立者たちの最後の奉献 への招き創立者の死

新世紀ルーツへの巡礼

目次

創立者の死

9) 列福調査開始へ(2)

ミサを捧げる創立者

世界のいろいろなところから、パウロ家族の列福・列聖調査請願本部に、枢機卿、大司教、司教、社会的コミュニケーション界の代表的人物の手紙が届けられました。彼らは、この謙虚で偉大な「神のしもべ」の列福調査を開始して欲しいと表現しています。
この中のいくつかをご紹介しましょう。


とりわけ輝かしさを増してくるのは、その並々ならぬ徳の光、新しい道を開いたその高い霊性である。これをとおして、何百何千という人びとが、修道生活の中で完徳をめざして前進し、神の教会に彼が遺産として残していった事業を推進している。地上の旅路における神との絶えざる親しさの真に輝かしい模範、司牧と修道生活・・・の分野での彼の天才的な洞察は、今の世界に多くのことを語っている。

枢機卿ピエトロ・パラッツィニ


彼がどれほどよく働いたか、50年以上も、教会と社会につくした。まことに模範的な司祭生活と修道生活、多様で独創的で賞賛に価する使徒的活動のかがみを残したことは多くの人が知っている。この立派な司祭の徳を、司祭の模範、聖別された人びとの模範、神の民の模範としてかかげることを教会がよしと考えるときが来たら、彼は、信仰と愛徳において限界を置かない惜しみないあかしをするという正道を歩むための、教訓とも力強い刺激ともなることは間違いない。

ローマ司教代理・枢機卿ウゴ・ボレッティ


私たちはみな、尊敬すべきこの神の人の柩の前に敬意をもって頭を垂れるものだ。彼は、福音の真髄を生き、あますところなく模範的な献身をもって福音を実践した。私たちは、ただ、神がご自身の心に従って造ったこの使徒を、ご自分の教会に与えられたことを、感謝するばかりだ。そして、彼は、受けたタレントを百倍に実らせたのだ。

修道者聖省長官・枢機卿 イルデブランド・アントニウッティ


彼は、私たちの時代に神が立てられた使徒たちの中の偉大な一人と考えられよう。

ポントレモリ司教 ジュゼッペ・フェノッキョ


聖パウロの熱誠に豊かに恵まれたこの聖なる司祭が、聖師イエスと甘美なくびきをともにしながら、多くの苦しみを経て、今の世界が生みだした技術手段をもって、救いをもたらす真理に奉仕したことをたたえるには、人間の言葉では足りない。私が祈っているのは、全世界の模範として、彼が列聖されることだ。

ボストン補佐司教 トマス・V・ディリー


私は、ヤコブ・アルベリオーネ神父の聖性と使徒的熱誠を確信しているものであり、彼が列聖され、そして、社会的コミュニケーション手段の世界に働く人びとすべての保護者となってくれることを、祈っている。

キャロライン司教 ヴィンセント・I・ケンナリ


彼は、今世紀の教会に光彩を与えた最大の人物の一人である。その傑出した徳の輝きと高い霊性は、その光を日に日に増していく。

列福・列聖省長官・枢機卿 ルイジ・ライモンディ


ヤコブ・アルベリオーネ神父様と面接を得たものとして、彼が近年の最も傑出した人びとの一人であること、そして、彼のはじめたことが、私の時代の霊的必要に具体的に答えるものであることを証言する。

枢機卿 セルジョ・ピニエドリ


彼の使命は20世紀の最大の使命の一つであった。その成功の秘訣は、彼自身の聖性であった。

エルパソ司教・S・M・メッツガー


アルベリオーネ神父の霊性は、多くの面で、第二バチカン公会議の精神を先取りするものである。

アヴェツァーノ司教 ヴィットリオ・オッタヴィアーノ


彼が、神のみ手の中で、このむずかしい時代の人びとに善をもたらす強力な道具となれたのは、その聖なる生活と全面的自己犠牲によるものだ。

リトゥル・ロック司教アルバート・L・フレッチャー


アルベリオーネ神父様が、この時代の必要にぴったり答える多くの修道会を創立したことは、考えても目をみはる思いである・・・これほど広大な働きを説明できるのは、聖パウロにならっての深い内的生活とキリストへの熱い愛以外にない。神の御指がここに働いている。

ファエンツァ司教 モンセニョール・ジュゼッペ・バッタリ


司祭ヤコブ・アルベリオーネは、私の考えでは、主の招きに英雄的に答え、神と兄弟への奉仕に全生涯を投げうったキリスト者と司祭の一人に数えられる人だと思う。神学校時代から愛をこめて内的生活を育ててきた深い内的生活の人、アルベリオーネ神父は、彼の時代の中に深く場を占めた人であった・・・。その死後、アルベリオーネ神父の記憶は輝かしく残り、聖なる教会から栄光を受けるのを見たいという望みが、キリスト者の中に広がりつつある。

パドヴァ司教 モンセニョール・ジロラモ・ボルティニョン


アルベリオーネ神父の生涯は、キリスト者として司祭としての非凡な徳のかずかずで飾られていた。その徳こそ彼を特徴づけるものであり、司祭とあらゆる分野の信徒をして、彼を公に敬うことを求めさせるものでもある。彼が果たした事業とはじめた組織は、神に対するその信仰・希望・愛が生き生きとしたものであることを証明している。彼は対神徳を自分の生活の内面で生きぬき、実に『パウロ的な』その使徒職の生命に注ぎこんだのだった。

ロッサーノ大司教 モンセニョール・ジョヴァンニ・リッツォ

◆10-5 創立者の死


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